いつだって一緒だよ! まぁくん!
 僕が自衛隊から帰って来て間もない頃に、下の妹のワガママで犬を飼う事になりました。

 以前にも家では犬を飼った事があります。  名前はジョン。  小学生の頃に我が家に迷い込んで来た捨て犬でした。
 僕も学生だったし、我が家の家業も忙し過ぎるほどだったので…今思えば飼い殺し状態だった。  僕が自衛隊に居た頃に死んじゃった。  それなりに結構可愛がってはいたので最後のお別れをしに帰りたかったけど、連絡を受けた時は演習に出る寸前だったので帰れませんでした。 演習中の仮眠時にジョンの夢を見た時は、ジョンの方からお別れに来てくれたんだ!と涙が止まらなかった覚えがあります。


 「ちゃんと面倒みるから!」 「毎日散歩するから!」と言う妹の強いワガママに、飼う事を反対していた両親も僕も説得されて子犬を探す事になりました。


 いろいろと当たってみて子犬を探す事の難しさを痛感。  「子犬差し上げます」という看板を配達中によく見かけたのに、いざ欲しいとなると情報が無い。  お客さんから「○○さんの家で子犬が産まれたそうだよ。」という情報を得たので行ってみると… 『一匹10万円』とかだった。  『8万円にマケておくよ』とまで言われたけど、金額的にも雰囲気的にも受け入れられなかった。  『買う』のではなく『飼う』のであって…  何かが違う気がした。  8万円までマケてくれたのに断ったら、「今どき雑種なんて飼う人いないよ!」と軽く笑われました。


 数日後…
犬を飼う事の話題を避けていた我が家に、行き着けの喫茶店のマスターから産まれたばかりの子犬を譲りたい人がいるという電話がきました。  また高値で売買されるのかと聞いてみたら、大切にしてくださる方に飼ってもらいたいだけだそうで…  阿久比まで見に行きました。

 産まれたばかりというのは伝達ミスだった。  既に生後1ヶ月だそうです。  親犬と真っ白な子犬と茶色で白い靴下の子犬。  「どっちでもイイよ!  君が残した方をうちが育てるからね!」と温かい言葉だった。  こんな温かい飼い主に育てられた犬の子供なら、間違いなく大人しい犬に育つだろうと思いました。


 どちらも可愛い。  同じように寄ってきてジャレてくれます。  どちらか選んで、どちらか残った方が処分されるのであれば両方引き取りたくなるほどです。   たった数秒で愛着が湧きました!  結局… 真っ白な犬は汚れが目立つと思ったので茶色の子犬を選びました。  これもクリーニング屋の悲しい定めだったのかな?  クリーニング屋に引き取られた子犬の悲しい定めなのかな?


 茶色の子犬を深いカゴに入れてくれたので、助手席の足元に置いて車に乗り込みました。  しばらく大人しかった子犬はエンジンを掛けた途端に鳴きまくり!!  親から引き離す寂しさを目の当たりにし…エンジンを切って落ち着かせようとしました。  しかし土台無理!  親犬は慣れているのか諦めているのか分からないけどクールな態度。  だけど目は寂しそうでした。  
 僕は出直す事を飼い主さんに申し出ましたが、「今度来た時はもっと鳴くよ。 直ぐに慣れるから連れて帰りなさい。」と言われました。


 スッゲー悪い事をしてるような罪悪感を背負いながらエンジンかけて出発しました。  車内は大騒ぎ!  MTのツーシターだったので狭いから鳴き声も半端じゃありません。  そのうちにカゴから飛び出して左手を噛んできます。  信号で止まるたびに離したりカゴに入れたりしてキズだらけで帰宅。  小さいのに凄いパワーだった。


 帰宅して皆が「まぁ可愛い♪」「まぁ可愛い♪」と大人気だったので、名前が『まぁ』に決定。  敬称は人それぞれに呼んでましたが… 皆から名前を聞かれて教え辛かったのは言うまでもありません。  
 忙しい時期だったけど…ダンボールで小屋を作ってあげました。  なかなか小屋に入らなかったので無理矢理押し込んでみたり♪
キャンキャン吠えまくりで煩かったので、冗談半分で日本酒を与えたら一気飲み。  即爆睡!  死んじゃったかと思った。

 一番困ったのが寝なかった事。  親元から離れた最初の夜は夜通し吠えてました。  仕事が忙しくて疲れてるからストレスとなって、カッときたけど僕の目を見て吠えてるから、小さいながらも不安と寂しさと戦っているのだと思い…布団に入れてやりました。  余計眠れなかったけどね。


 せっかく作った犬小屋に入る気配もなく、まぁ君は犬小屋を噛んで倒壊させました。  寝床は僕のスニーカーの中を勝手に確保!  臭いと狭さが落ち着くのかな?  入れなくなるまで寝床として利用されました。  我が家の生活には3日で慣れて独り立ち。  偉いもんだ!  
 散歩は妹二人の奪い合いでしたね。  時々僕も散歩に連れて行きました。


 初めての狂犬病の予防接種。  歩いて5分の獣医さんまで連れて行きました。  まぁ君はルンルン気分で動物病院の門を潜り、ニコニコしながら診察台に上がってクッキーを食べてます。  そのうちに押さえ込まれてオシリに注射!  痛みと驚きでパニック。   逃げるように動物病院から出ましたよ。
 それ以来… 動物病院へ行く方向には前足でブレーキをかけるようになりました。  


 『お手』 『おかわり』 『お座り』 『伏せ』ぐらいは教えておかないとダメだと思ったので根気良く調教。  ところが、かろうじて『お手』ができる程度。  『お座り』だけは餌を与える時に自らしますが…  『お手』は僕が手を握ってあげるだけでした。  どっちが『お手』してるのかわからないですね。  ある日親父が車を動かしてる時に前足を轢かれました。  怪我は不思議な事に無かったですが… 心の怪我は手を触らせてくれなくなってしまったほど深かった。  手を触ろうとすると引いて隠すようになってしまった。  結局『お座り』しかできない犬。 しかも餌をもらう時だけ。


 まぁ君…  親犬が大きい割りに、意外と小さいまま成長が止まりました。  しかしパワーは凄かった。  食欲も凄かったです。
毎朝の散歩が一番大変。  陽が昇って明るくなってきたら玄関のドアにタックルして呼ぶほど。  夏場は4時には炸裂してました。  冬でも5時です。  スタートはゼロヨンスタートだし…  走れば走り続けるし…  めちゃめちゃ大変だったけど、早朝の散歩係りは親父です。
 夕方の散歩係りは僕です。  妹達は最初の3ヶ月ぐらいから散歩の時間になると引きこもりに徹してましたね。


 仕事が暇な時は近所の山まで散歩に連れて行きました。  時々走って片道30分以上。  頂上の広場で鎖を外して走り回らせてあげました。 昼間は誰も居ないから好き放題に遊ばせてヘトヘトになったらジョギングしながら帰宅。  疲れ果ててる姿を見て「ざまーみろ!」みたいに遊んだよ。
 しかし、頂上で捕まらなくなって…  さらに逃げ回られて見失い…  暗くなるまで一人で探しまわって発見保護してからは連れて行くのをやめました。  ありゃ大変だったわ。


 家に居る時は常に食い物を求めてたなぁ。  オヤツもいろいろ与えた。
硬いガム・骨っこ・ササミジャーキーなどなど…。 与えたら与えた分だけ食べてましたね。  一度だけ骨っこのBIGサイズを知らぬ間に一袋食われた事がありました。  散歩の時に真っ白な○○チが!


 まぁ君は一度だけ死にかけた事があります。  それは餌の与え方が悪かったのが原因で、血液がドロドロになって流れにくくなる病気でした。  あれほど旺盛だった食欲が全く無くなり、動けなくなって死を待つだけの状態になりました。  体臭も酷くなり…まだ死んでないのにハエが集ってきちゃうほど。
 病気なのか寿命なのかその時は分からなかったので獣医さんに電話したら飛んで来て診てくれました。
 とにかく水を飲ませる事と、乾燥したドッグフードを食べさせる事。  
 まぁ君は少しずつ食べるようになり、凄く元気になりました。  今までは残飯と牛乳だったので塩分の多さと牛乳を飲む事で水分を摂れなかった状態だったみたいです。  凄く反省させられました。  牛乳は骨を強くするから…と思ってリッチに与えていたのが裏目にでました。


 獣医さん拘りのドッグフードと水道水を与え続けたら以前よりも元気になった!
 走る!走る!!  まるでフルオーバーホールした606号みたい(^-^)

 ある夏の日に矢作川に遊びに行った。  少しぐらいは泳げるかと思ったら…  中州で怖がって全力でブレーキかけて、帰る意思表示。  目が『怖いよ〜!』と訴えていたので、ゆっくり歩いて帰りました。  
 ザブザブ泳いでブルブルってする絵が見たかったのになぁ〜。


 まぁくんは散歩の途中で大きな犬と擦れ違う時は何故か喧嘩売って向かっていきます。
逆に小さな犬の時は相手にせず… 近づいて来ても笑顔で挨拶してる犬。  変な犬だなぁ。

 家に来るお客さんや店に来るお客さんには、わざわざ小屋から出て確認しに行く犬。  なんとなく怪しいと吠えまくった!  でも怪しくないと分かると直ぐに定位置に戻って落ち着く。  『自分の仕事』 『自分の任務』 『家族の一員としての役割』を果たしてるみたいだった。


 まぁくんが一番忙しかった時期は、店と工場の前にあった田んぼが埋め立てられて大きな焼肉屋さんが出来た時でした。
 その焼肉屋さんは駐車場が凄く狭くて、第2駐車場は我が家の裏にありました。  その為に我が家の駐車場に間違ってか…故意にかは分からないけど焼肉屋さんに来たお客さんが駐車する事が頻繁でした。
 その時の活躍ぶりは凄かった。  うちの店と焼肉屋さんが営業してる時間帯でバディングする時間は2時間。  その2時間は、うちのお客さんと焼肉屋さんのお客さんを判断して吠えたり歓迎したりしたよ。  これ本当の話。

 「犬が吠えるから焼肉屋さんの駐車場じゃない。」  「犬が吠えるから無断駐車できない。」と思ったのか?皆さんバックして移動していた。
まぁくんの頑張りで無断駐車は無くなったし…  焼肉屋さんができて治安が凄く悪くなったけど、まぁくんのおかげで我が家の敷地は守られた。
 野良ネコ一匹でも追い出した。
 一番血気盛んな頃だったなぁ。


 車で出かける時は「一緒に連れて行って!」とせがまれ…
 帰って来た時は小屋の中で寝ていても飛び出て出迎えてくれた。
それが当たり前の景色だった。  まぁくんが居る当たり前の景色だった。


 しかし…  人間でも犬でも生き続ければ『老化』は避けて通れません。

 春夏秋冬、朝と夕方の散歩でだんだん疲れを見せるようになったのが峠でした。  今までは30分以上走ったり歩いたりしていた散歩だったけど、1分ずつ減る感じ。  「散歩が楽になった♪」と僕は喜んでいたけど…  それは悲しまなければいけなかった事だった。
 

 春夏秋冬、朝と夕方の飯は与えたら与えただけ全部残さず食べていた。  僕が与える餌の量は親父が与える時の倍。  それでも食べた。  時々「与え過ぎだ!」と親父に注意されるけど…  腹いっぱい食べさせてやりたかった。  あまりたくさん与えると身体に良くないし、頭も悪くなるらしい。  でも…たまには満腹感で幸せな気持ちを堪能してほしいじゃんね!


 普段の生活では全然衰えを感じられなかったけど、散歩で老化はハッキリと分かりました。
歩いていて前足が上がらなくなってつまづく。  後ろ足は支え程度にしかなっていない。  嗅覚が失われつつあるから地面を舐めて舌で臭いを確認する。  散歩の距離は短くなったにもかかわらず、散歩に要する時間は長くなってしまった。


 気がつけばいつの間にか『吠える』という事がなくなった。  「クゥ〜ン」と何かを訴えるだけ。

 その頃から痩せてきた。  餌は怖いくらい食べるのに肉にならない。  散歩してると皆が哀れな目で見る。  餌を与えていないみたいな…   腰から痩せてきたのは今でも覚えている。  立ったり座ったりもギクシャクするようになった。  
 触ったら骨のゴツゴツ感しかない。  何気なく顔を触ったらやっぱり骨のゴツゴツ感しかない。  毛があるから丸く見えるだけ。  


 まぁくんの老化はもの凄い速さで進んでいた事に気がついた1年前。

 オシリからの出血が激しくて獣医さんに相談したら、「18年も生きていたら当たり前の事。 どんな犬でもなる事で…若いうちだったら手当てをしてあげるけど、今やったら痛くて苦しんで死んじゃうかも知れないからヤメます。」と…。
 数えで18年。  人間の歳なら110歳らしい。
 でも餌はスッゲー食べるんだよなぁ(^-^);


 家族も獣医さんもお客さんも、まぁくんが今年の夏を越せるか心配でした。
とっくに視力・聴力・嗅覚を失ってました。
でも生きる気力だけは失ってなかった!  自力で立ち上がるのに凄く時間がかかるけど、フラフラしながら4本の足で立ってる姿を見せてくれた。  配達や出先から帰って来ると無理して必死に立ち上がって出迎えてくれた。  そんな景色も聴力を失って車の音が聞こえなくなった時から消えてしまった。
 近くまで来て気がついて、慌てて『出迎えなきゃ!』と必死に立ち上がる姿に可愛らしさを強く感じた。


 今年の夏は意外に涼しかった。  まぁくんも涼しかったと思っていたのかな?  無事に夏を越す事ができた。
目が見えないから立ち上がると一定方向にクルクル回って、繋いでおく為の紐で体中を縛ってしまう現象が何度も起きた。  夜中に転がったり暴れたりしてコンクリート床に頭を打ちつける音で目が覚めたり…  扉に当たる音や餌鉢を蹴る音で何度も夜中に起こされるようになった。
 仕方なく繋いであった紐を取って、自由に歩き回れるように柵を作った。


 まぁくんは昼間に工場で仕事をやってる僕らの目を盗んで時々脱走していた。  でも直ぐに疲れちゃうから店の前で倒れていたり、壁に寄り掛かってるのを、たまたま通りかかった人や車に発見されて一報。

 僕が洗い場で仕事してる時はフラフラヨチヨチしながら、まぁくんの今の力では到底のり越えられないはずの段差をのり越えて、僕の仕事ぷりを見に来た事があった。  なんとなく…  自分の育った所を見納めに来た感じがしたので、本当なら柵の中に直ぐ戻すのだけど…好きなように歩かせた。  けして邪魔をする事はない。  少ししか見えないはずの目は動いてる僕の姿を追っていた。
 この時は妙に耐えられない寂しさがあった。
 「今ね、洗濯機でジャンパー洗ってるんだよ。」
 「こうやって干したら、雨の日にまぁくんと一緒に遊んで干し場に持って行くんだよ。」 と話しかけながら仕事をしました。

 そのうちに大きな機械な周りを歩いて…  機械の陰で寝てしまった。
あんなに歩いたまぁくんは久しぶりに見ました。


 11月に入ったら自力で立つ事も寝返りをうつ事もできなくなった。  一生懸命に立ち上がろうと足をバタバタしてる姿を見て両手で起こしてあげて、支えながら立たせる事ができるけど… 直ぐに頭から倒れてしまうので傍から離れられません。  調子がイイ時は10歩20歩と歩けたけど、次第に歩数は減った。  自力で座るのは困難なので頭を打たないように寝かせます。  昔のように勇ましく座る事は無理になりました。  横にしかなれません。


 衰弱は加速の一方。
絶対に残さなかった御飯も僅かに残すようになり…  20% 30% 半分と日増しに残す量は増えてきた。
 半分以上残すようになった時には既に自力で食べる事ができず、まぁくんを起こして支えながら餌鉢を口元に運ばなければならない状態。  時間がかかる食事だったけど、食べてくれるのが凄く嬉しかった。
 水も同じようにして飲ませるとガブガブと飲む。  飲みたい時に飲めないのは、きっと苦しいだろうな。  前を通る時は抱き上げて水を運んであげるようにしました。

 立てないのに立ち上がろうとするから全ての関節は擦れて肉や骨まで見えている。  体中ボロボロなんだけど顔は綺麗。  歯なんて1本も抜けてないんだよ。


 11月14日。  寝たきりのまぁくんに「行ってくるね♪」と、いつものように声をかけて配達に出ました。  足をバタバタさせて立ち上がろうと努力する。  だけど体は地面に貼り付いてるかの如く。  悔しいだろうな。  どうして立ち上がれないのか理解できないんだろうな。  
 配達を済ませて帰宅した時に母親がカーポートの下で眠るまぁくんを見ながら指で×マークを出した。  前足が痙攣して意識がない。  「もうダメだ。」と誰もが思った。
 しかし、まぁくんは頑張った。  まぁくんの目からは涙が止まる事なく流れ続ける。  必死で生きようと頑張った。


 暖かかったり小寒かったりの繰り返しで冬が近づく11月17日。  ついに動く事ができなくなった。  なんとか餌を食べさせようと抱き上げたけど…  口を開かない。
少しだけ開いている目は「痛いからもうヤメて。」と訴えているようだった。
そっと寝かせた。  本当にヤバイ状態だと思ったので、僕は外出を控えて様子を見てました。

 小さく開いた瞼は閉じる事無く遠くを見ている感じ。
何か言いたいのだろうか?  もう一度吠えてほしい。  まぁくんの声が聞きたい。  


 ほとんど動かない。

 死期を察しているのだろうか…
涙が溢れている。


 午後1時半頃にまぁくんの頭を撫でていたら突然起き上がろうとした。
「なんだまだスッゲー元気やん!」と思わずツッコミ入れてしまったほど。
息を荒立てて一生懸命に起き上がろうとしてる。
起き上がれない悔しさなのか… 涙が溢れている。

 「起き上がらなくていいから!」と、あばら骨が浮き出ているお腹を擦ってあげたら安心して眠った。


 しかし、まぁくんはその眠りから二度と目覚める事はありませんでした。


 もの凄く暖かい午後の日差しに包まれて天国に旅立って行きました。
 最後に何か言いたかったのだろうか…?
抱き上げてあげれば良かったと今は後悔しています。


 「いつ死んでも不思議じゃないね。」と笑って言い続けて1年…。
まさか本当に死んじゃうなんて…。
 受け入れられません!


 ダンボール箱に毛布を敷いて、お花をいっぱい入れてあげました。  お寺さんにも来てもらいます。  明日(11月18日)の午前中に火葬場に行きます。
 今は凄く綺麗な顔で、阿久比から連れて来て育った所(僕の部屋の下)で眠っています。
 久しぶりにスッゲー凹んだ。


 精一杯愛情を込めて育てたつもりだったけど…  足りなかったのかな?  喜んでくれたかな?  
今は元気に走り回ってる姿しか思い出せない。
 まぁくんの居ない景色に戸惑いながら生きていくのは辛いだろうな。  今日、まぁくんが居る当たり前の景色が消えてしまった。  
あんな事、こんな事…  たくさんの思い出をありがとう。
 一緒に過ごした19年間はかけがえの無い思い出です。  ありがとう、まぁくん。


 僕達の心の中で…  いつだって一緒だよ! まぁくん!
by606