【2003年6月1日 セントラルサーキット EURO CUP 2003 BLSレース】

 優勝した次のレースでした。 自信満々♪ 前回、雨でリタイアしたセブンがたくさん出場しました。 「前回優勝したBDRってお前か? エンジンは何馬力? なんだぁノーマルなの? それじゃあパワーが無ければ雨降りゃ楽勝だわなぁ〜!」とレースに出場するセブン乗りに言われた。 そう! このレースはエンジンのチューニングは無制限。 どのセブンもバリバリにチューニングしてある。 パワーがあり過ぎてドライブシャフトがねじ切れるセブンもいた。 車も速ければ腕も良いドライバーばかり! 前回、エクシージのドライバーさんが言ってた「ストレートで置いて行かれる」という意味はここにあります。 つまり雨だとハイパワーが脆歯の剣となるワケです。 コースドライの状態で何度も一緒に走ってる人達ですが、スタートで真っすぐ発進できずに突然回転するセブンや、完走できずに路肩で止まってるセブンが多かったレースです。

 とりあえず予選スタート。 晴天という事で15台くらいの出場でした。 今回はもちろん順位&タイムを表示する順位表に僕のゼッケンは無かった。 と言うよりも見てる余裕なんて全然無かった。 それでも他のセブンやエリーゼに少しでも負けたくなかったし、前回頑張ったという妙な自信もあったので『負けたくない!』という気持ちが強かった。 それでも予選順位は中の下。 「雨だったらなぁ!」 と思ったのは正直な気持ちでした。

 予選順位は覚えてないけど… 前の方はセブンばっかりでした。 初夏という事で路面温度も高く、スタートと同時に雨みたいに滑る事は無いと思い、決勝は得意のロケットスタートでイン!イン!イーン!とイクつもりでした。
 シグナル赤からグリーンに変ってスタート! ガンガン走りました。 いきなり1台のセブンとバトルになり、抜きつ抜かれつのデッドヒートを楽しみました。 相手のセブンは排気量もパワーも606号よりも低かったけど、ドライバーの腕はありました。 僕は正直下手なのである意味で互角。 体力なら負ける気がしなかったので最後まで集中力を落さないように頑張って走りました。 606号は僕の体力よりも先にタイヤが垂れ始めました。 騙し騙し走ってても確実にペースダウン。 バトルしていたセブンが右へ左へ「抜くぞ!」と言わんばかりにヒラヒラとミラーに映る。 時既にファイナルラップ! ゴールまでコーナー2個! なんとか抑えたい! しかし606号は僕の気持ちとは裏腹に悲鳴を上げている。 「ここでアクセルは緩められない!」と思った瞬間606号は左に180°回転。 激しい下りだったのでカウンター当てる間もなく…一瞬の出来事だった。 回転しながらも追いかけてきたセブンが避けて抜き去る姿もリアルに覚えてる。 タイヤのスキール音に反応した観客が一斉に視線を向けたのも見えた。 一瞬の出来事だったけど超スローモーションでした。 そのまま横向きでコース脇の土手に突っ込んだ。 横向きだったので相撲取りが四股を踏む感じで左前後輪が高々と上がりました。 僕は右側が土手に当った時の衝撃で体の血液が全部右半身に寄った。 直ぐに浮き上がった左側は激しく着陸し、右側に寄った血液が今度は全部左側に寄ったのがよく分かりました。  

 全ては一瞬だった。
 
 僕は無意識に606号から降りて安全な場所まで移動しました。 観客が皆見てた。 ファイナルラップだったので、全車クールダウンして通り過ぎて行きました。 土手の上から606号を眺めて、ボディは凹んでるし… タイヤはホイールから外れてるし… 取り返しのつかない事をしてしまったと後悔して涙が止まらなかった。 
 直ぐにサーキットのレッカー車が来て引っ張り出してくれました。 タイヤが外れてパンクしていたのでベコベコと鈍い音が後からついてくる。 レッカー車のオジさんはホイールが傷まないように芝生の上を走ってくれました。 ピット裏を引っ張られてる時が一番辛かったなぁ! ベコベコと音がしてるから全員振り返るし… 笑ってる奴もいる。 笑顔でカメラ向けてくるカップルの前では暑くて上げていたヘルメットのシールドを下げた。 一緒に来た仲間の所に戻ってようやく落ち着きました。 エンジンは大丈夫なのだろうかと掛けてみたらガラゴロガラゴロと絶対ヤバい音がしつつも一応掛かる。 トレーラーに積む事は不可能だったので仲間の積車を借りて帰りました。
 帰る頃から首がめちゃめちゃ痛くなり、氷で冷やして帰ったけど… 自分の首よりも606号が心配でした。

 実はこれよりも以前に鈴鹿サーキットで走行会があった時、家から自走で向かってる最中に何度も溶接を繰り返してきたミッションを支えるフレームが折れました。 とてもサーキットを走れる状態ではなかったけど… せっかく来たのだからと走っちゃいました。 その時は各ギアにシフトチェンジしたら、シフトノブを押し続けたり、引き続けてギアが抜けないようにして走りました。 この日、ショップにフレーム交換を依頼しておりました。
 606号はプチクラッシュしたけど内臓をそのまま新しいフレームに移植する運びだったので、ボディの凹みやキズはかわいそうだったけど早めに開き直る事ができました。 しかし、ショップからは悲しいお知らせで「エンジンもベルトの歯飛びでOHが必要」との事。 いっそ新しいセブンを買おうかと心が揺らぎ始めた。 

 フレーム交換(現在の606仕様に仕上げるまで)に掛かる費用は、ざっと400万。 まぁ…フェンダーオールカーボン化やアラゴスタのショック・スタックのタコメーター・エンジンOHなどなど含め…。
 新しいセブンで欲しかったのはR−500でした。  鈴鹿サーキットのメインストレートを駆け抜ける排気音に誘惑され続けていたからR−500が欲しかった。  R−500が発表された時には780万ぐらいだったのに、紀和商会さんのカタログで値段みたら約1000万。 606号の下取り価格を弾いてもらったら250万前後。 追い金700万以上なんて絶対無理ーっ! 
 …という事で約半額で済むフレーム交換に決定。 BDRを手放す事に終始躊躇いがあっただけに、この選択方法は正解だと思った。 でも…短い時間だったけど、あれが最初で最後の浮気だったのかも♪ ごめんよBDR。 
 
 そして頭金の支払い額とローンの返済方法を話し合い、商談成立。 「よろしくお願いします」とハンコ付いた時に「エンジンぶつけた時に警察呼んで保険屋通しとけば良かったね」と言われてガックリ。  エンジンぶつけた時なんて頭真っ白だったし、携帯電話も無かった時代だし…家まで帰るのが精一杯だった。 保険の話なんて… (T。T) なにかが心を突き抜けた。
 まぁ、606号が甦る日を夢見て…身も心も初心に戻る決意をした新しい出発でした。 今回は株券が担保ではなく、『出来上がった606号が担保』というローンです。 払えなかったら606号が引き取られる。 つまりローンが終るまで606号はローン会社の所有物となるワケです。 それも悲しい話ですわ〜。 でも再び親父を頼るのも嫌だし… 親父を頼る歳でもないし… 溜め息混じりのハンコ。

 【数日後】 新しいフレームは空から降って(空輸で)きました。 最初は全塗装するつもりでしたが、606号が新車で納車された時は塩害で(正直)汚いアルミ地肌だったけど、今回は木箱に入って空輸されたボジョレーヌーボー。 めちゃめちゃ綺麗♪ これを塗装するのは勿体無いと思い、無塗装を決意。 無塗装で時間と料金が減ったのは嬉しい誤算。 

 【半年後】 606号は完成しました。 
 内臓はそのまま使い、フレームはレーシングフレーム。 ノーズコーンとフェンダーをカーボンにして、スタック(おむすび)のタコメーターで見た目はR−500! だから『R−500もどき』と言われ… 「BDRでフレーム交換するの?」とまで言われた。 一番忘れられない一言は「しょーもなっ!」だった。
 振り返ってみると『不評』ばっかりだった606号。 自分なりにフレームから細かい部品に至るまで試行錯誤し、夜なべして考えた形だったのに…結構悲しかった。
 606号のコンセプト『BDRレーシング』は自分なりには完成だから満足! レーシングフレームにBDR積んで何が悪いの? 
 
 OHしたエンジンの慣らしも済んで、 ショップの工場でニヤニヤしながら『67』のゼッケンを貼って… 鈴鹿サーキット・NRCゴールデントロフィーレース・ネオヒストリック50分耐久レースに出場。 見事(他力本願寺で)クラス優勝する事ができました。 その頃には自分のHPを立ち上げる準備も同時に進めてきてました。 HP版の『チキチキ通信』が完成したのは、それから二ヶ月後の3月後半。 誰も見てくれなかったらどうしよう? いつまで続けられるか? という心配をよそに、なんだかんだでもうすぐ丸2年が経ちます。

 セブン(606号)がある限り遊び続けると思います。 遊び続けられるように頑張ります♪

 チキチキ通信・報告書・2004年3月14日『静岡ツーリング』につづく・・・ 
内蔵は全く手をつけないで
外観は次第にサーキット仕様へ!

懐かしいタイヤだなぁ♪
パンダが運転してるのではありません。
ホンダが運転しているのです。
この頃の606号が一番速かったかも…
正直、一番運転し易かった。

そして… 現在に至る。
        by大悶軍団



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