99 糧食班勤務 其の七

 その後は支援直⇒本直⇒非番の繰り返し。  日曜と祝日は休みなので朝飯は駐屯地内で寝泊りしている独身者に各居室別にパンと牛乳を振り分けます。  居室の下っ端がパン箱で持って帰るから楽でしたね。  しかも昼と夜は人数が少ないので仕込む量も作る量も、洗う食器も少ないので楽でした。


 僕の居た駐屯地は目の前が演習場だったので、いろんな部隊が来るたびに作る量が3倍・4倍となった時がありました。  その時は休憩時間が全くない状態で働き続けましたね。  あの時の口癖は…  「明日が見えねぇーっ!」  でした。


 絶対に苛められるとばかり思っていた江藤贔屓(ひいき)の班長でしたが、仲良くはしてくれなかったけど、それなりに楽しく仕事ができました。  普段はダラダラとしている班長も、いざ仕事となると先頭切って動く。  そんな姿が男らしかった。
 包丁の使い方や研ぎ方も馬鹿にされながら教えてもらって上手くなった(と思う)。
 食材の切り方も…  焼き方、揚げ方、煮込み方なども怒鳴られながらできるようになりました。  火傷もしたなぁ。


 他の中隊の陸士とも同じ班という事で仲良くなれた。
 

 自衛隊はいろんな訓練をして有事に備えているけど…  平和大国日本。  実戦というのは(たぶん)無い。
 だけど糧食班は非番以外は全て実戦!  戦闘服が白衣に…  64式自動小銃が包丁に代わっただけの事。  戦死とかはないけど、調理に失敗したり時間に間に合わなかったら凄い責任問題だもん。  それってある意味で戦死に等しい。
 それだけ重要な仕事だと痛感した。

 外出するはずの隊員が飯を食いに来たりして御飯が足りなくなって、冷凍ピラフを速攻で炒めて出したり…  おかずが足りなくなってしまったり…  ちゃんと人数分+αで十分足りるように作っているのに足りなくなった時は本当に大変でした。


 僕が糧食班で一番嫌だった仕事が残飯処理。
 足りなくて困った事は僅かでしたが、毎回恐ろしいほどの量が余って捨てられる。
晩飯がカレーライスとか肉料理などの人気メニューの時は全隊員が我先にと食堂に来るけど…  人気の無い魚や野菜メインのメニューともなれば、自分でお金を払って駐屯地内にあるレストランや喫茶店や居酒屋(クラブ)で済ませてしまう。  どうしても苦手な食べ物の時は仕方ないけどね。  

 残飯は近所の養豚場がドラム缶で引き取りに来ます。  もの凄い量です。
 手付かずの麦稈をそのまま外のドラム缶に持って行った事もあります。  一生懸命に作った御飯。  凄く勿体無い気がしたよ。  たった一食で凄い量の残飯。  一日三食で3倍。  一週間で一日の7倍。  一ヶ月で一週間の4倍。  一年で…。
 

 残飯捨て場でスズメに御飯をあげるのが好きでした。  片手いっぱいの御飯を外柵の向こうに投げてあげると、たくさん集まってきて食べてましたよ。  

 心無い隊員が残飯と一緒に箸を流した事によって、豚が箸を食べて死んでしまった事も多々あり…  養豚場の人が怒鳴り込んで来た事もありました。  

 本当にいろんな意味で実戦でしたね。


 本直で寝坊した事は一度もありませんでした。  後半は目覚まし時計よりも先に起きて、居室の誰にも迷惑をかけないようにできたし…  ただ、非番の時だけは無意味な一日を過ごしていた気がする。  一日ダラダラ過ごしていたので疲れてなくて眠れない時にこっそり書き始めた自衛隊白書。  朝から晩まで書いていれば良かったなぁ。


 長いようで短かった糧食班。
 前にも書いたように誰もが必ず一度は行かされる飯炊き部隊。  誰もが一度は行くのだけれど…  あの頃は糧食班に2回行く隊員は、中隊で使い物にならない隊員だった。  それは誰もが分かっている事で、僕が糧食班勤務中も何度も糧食班勤務に就かされている先任陸士が居た。  本人も居心地がイイみたいで、中隊勤務よりも生き生きしてるように見えましたよ。

 糧食班に2回以上来る隊員は落ちこぼれ。  そんな言い伝えは何処の駐屯地でも同じだったのかな?  これもある意味での実戦ですね。


 糧食班から中隊に戻る時も中隊長に申告しました。  『形』に拘る礼儀正しい自衛隊の姿ですね。
なかなか楽しかったし、凄く学ぶ事が多かった糧食班。  でも…やっぱり作ったり片付けたりするよりも、ただ食べるほうがいいなぁ♪  あの時は義務感だけでやり続けたもん。  もう二度と糧食班勤務は嫌!  『使い物にならない隊員』というレッテルはもっと嫌だもん!


 でも退職間際に事を起こして、また糧食班勤務を命じられた僕でした。
by606