88 脱柵
 「本多さ… 」 と一言タメ口を放った瞬間に先手必勝でぶん殴った。  立てないようにチン(顎)をフックで弾き飛ばした。

 新隊員が上官に向かって「本多さん」などとタメ口を言うなんて言語道断!  (現在の自衛官は○○さんという感じで友達感覚で呼び合っているらしい。 見下された上官は下の階級から○○ちゃんとも呼ばれる始末らしい。)


 「なんも言うてないやろが!」と文句をぶー垂れる新隊員。  此処に来た時から態度の悪かった隊員だった。

 「言いたい事があるなら言え。」  「いきなりタメ口をきいたお前が悪いんじゃ!」と上から見下す感じで放ってやった。

 「ちーとばかり階級が上だからってナメてんじゃねーぞ!」と新隊員。
言いたい事は理解できる。  僕だって1年前は同じ事を思ったし…  同じように腹を立てた。  だけどそれが自衛隊だったし、それが仕事だと思ったから我慢して耐えて15ヶ月間給料やボーナスを貰ってきた。


 「考えが甘いんじゃないのかな?」  「なんでも自分の思い通りにしたかったら、もっと勉強して防衛大学を出て幹部になれば良かったじゃん。」  「今まで好きなように生きて、この先も好きなように此処で生きるつもりだったら辞めれば?」  「お前が別に辞めても僕は困らないし… 困るのは体裁しか考えていない教育隊長ぐらいだし。」って偉そうに御鞭撻申し上げて、後からナイフで刺されるんじゃないかとドキドキしながら階段を下りて部屋に帰りました。


 翌日は日曜日だったので僕は姫路市内で買い物がてらラーメン食べて、ゲーセンで遊んで少し早めに帰りのバスを待っていた。  夕方まだ明るいうちです。  姫路駅構内で警官に腕を掴まれている少年一人。  「万引きかな?」と思いながら様子を暇つぶしに傍観してました。


 (@。@)捕まってる奴、うちの新隊員じゃん!


 (>。<)なに面倒な事やってんだよーっ!  二人の警官に捕まっている前に駆け寄って事情を聞けば、派出所の前をタバコを吸いながら歩いているのを止められたそうな。
確かに未成年。
だけど自衛隊の中では未成年がタバコを吸っても御咎め無し。  むしろ普通の光景。  それが駐屯地を出たら即法律違反だという事を、まざまざと見せ付けられた。

 どう対処してイイのか分からないまま、派出所に一緒に行って謝罪。  タバコを吸わない僕がどーしてこんな目に遭わなければいかんのやら??
僕の責任でもあるので、二人でバスに乗って笑いながら駐屯地に帰りました。


 新隊員の門限は午後8時です。  姫路駅を7時前のバスに乗れば問題なく帰れます。

 そして事件は起きました。

 昨夜言い争った新隊員が戻って来ません。  午後9時を過ぎても戻って来ません。
連絡を受けた水畑教育隊長は独身官舎から血相を変えてやって来ました。  なんだかんだどうするこうする話し合った結果、全員で姫路駅周辺を探す事に決定。
 まだ部屋に私物が置いてあるので帰って来るかも知れないという理由で、僕は留守番。  帰って来る理由は僕を刺す事ぐらいじゃないのかな?って思ったら一人になるのが怖かったですわ。


 結局、午前2時頃まで探していたみたいだけど新隊員は発見できず。  駐屯地にも戻って来なかった。
これを自衛隊用語で『脱柵』(だっさく)と言います。  留置所から逃げるのを『脱走』と言うのと同じで…意味も同じです。  翌朝、彼の家に電話したけど帰っていませんでした。  水畑教育隊長は事の始末に奔走。  残った新隊員は誰もが動揺を隠せず…突然治安が悪くなった国みたいになりました。

 「あいつなんだか危ない奴みたいだったから近寄らないようにしてたんわぁ。」  「無口な奴だったよな。」  「本多一士… 恨まれてるんじゃないですか?」と…。  たぶん数人は言い争った事を知っている感じ。
 「駐屯地を出たら後から刺されないように注意したほうがイイですよ。」と笑い話で新隊員から言われた。  


 僕ら自衛官って…  駐屯地の外柵に守られているんだなぁ(>。<)  この柵の向こうは世界が違うって事を嫌というほど思い知らされた。


 それ以降、教育隊の任務が終わるまで外出を恐れてしなかった僕でした。
by606