82 念願の新兵配属 其の弐
 教育隊で新隊員に専念している間に、僕の部屋の新兵の様子が日々変化していた。
それなりに部屋の雑用はやっているようだが…  部屋のベッドで横になっている姿は死人そのもの。  天井の一点を直視して瞬きも少ない。  口は半開き。
 同じ部屋の先輩達も不気味さを覚えていました。


 あまりに大量の薬を飲み続けているB二士。  その量たるや尋常ではなかった。
「B二士… どこか具合でも悪いの?」と、見るに見かねて何気なくB二士に聞いてみた。

 「いえ、昔から胃が悪くて… ちょっと風邪気味なのでいつもより薬の量が多いですね♪」とニコニコしながら答える笑顔に覇気はない。

 「あんまり体調が悪かったら医務室に行ったほうがいいよ。」と…  これ以上話をするのが怖かったので、適当に会話を〆た。


 B二士が中隊に配属されて2ヶ月が過ぎた。
 やっと居室でゆっくり自分の事ができるようになったこの頃は新隊員教育隊の班付をしていたので、B二士と顔を合わせるのは朝飯前後と昼休み、そして消灯ラッパで教育隊が寝静まって僕が居室に戻った時ぐらいだった。


 起床10分前には教育隊で点呼準備に備えているので、朝食を済ませてトイレ&洗面を済ませる僅かな時間だけB二士と顔を合わせました。  無気力な顔には相変わらず正気が無い。  話しかけると笑顔で答えるのだけど、話が終われば「ヤレヤレ。」と言わんばかりの顔で回れ右をする。  話は続かない。  けして嫌われているようには感じないけど…  知らない人が見たら僕が面倒言ってるみたいだわ。


 昼休みは昼寝をするのが定義としてる僕は、B二士の様子や中隊の業務に関係なく30分間爆睡して体力回復に努めていた。  


 消灯後は教育隊で疲れ果てているので、さっさと寝る他に術はなく…  とにかく寝る事に努めていた。
 そんなこんなでB二士と会話ができたのは朝礼前の数分間だけ。  あの事件が起きた後…もっと話をして、B二士の事を考えてあげれば良かったのかも?と後悔の念に押し潰されそうになったのは正直な気持ち。  
 教育隊の事に専念していたが為に、一番身近な新兵を放置してしまった。  そんな後悔の念。


 教育隊が検閲を受ける頃(B二士が配属されて約5ヵ月後)、日曜日の朝に教育隊から僕が戻ってきた時…  B二士がベッドに上向きで寝ながらネックレスを目の上にぶら下げて揺らして見ていた。  ぞっとした!  完璧に切れている。  部屋の先任陸士達は既に見慣れている光景だったみたい。
 「本多…  声かけて呼んでも動じないぞ。」と…。  それでも無視できないので、「おはよう! B二士! おはよう? B二士?」と声をかけてみたけど反応無し。

 「こいつ薬でやられてんだわ!」 
 先任陸士の言う通りだと思った。  医学に全く通じない僕でさえ、あれだけの薬を飲めば逆効果な事ぐらいは分かる。


 B二士は瞬きもせずに左右に揺れるペンダントを見続けていた。  でもペンダントを目は追っていない。  死人そのものの姿に寒気を覚えた。


 このまま放っておくワケにもいかなかったので、医務室に行って衛生隊の先生を呼びに行きました。  そりゃあ面倒くさそうに足を運んでくれましたよ。  幹部がケガをしたのならダッシュで来てくれるのに…  たかだか二等陸士。  それも駐屯地では一番底辺の新兵。  その怠慢な態度と動作にスッゲー苛々したけどグッと我慢して一緒に居室に向かいました。


 衛生隊の先生はB二士の様子を見て一言。  「鬱病だな。」
 僕は鬱病という病気は聞いた事があったけど、実態を知らなかった。  もちろん同じ部屋の陸士達も同じ。  今でこそメジャーなこの病気だけど、当時はそれほど知られていなかった。  知られていなかったと言うよりも、外部から情報が入らないのが自衛隊。


 B二士個人のロッカーを開けて服用している薬を全部取り出した。  その量たるやバケツ2杯分!  主に風邪薬と目薬だったのを覚えています。
 「こいつどんだけ薬飲んでるんだぁ?」と立ち会った人達が一同に驚いた。
 「とりあえず警察沙汰になる薬はないみたいだな。」と衛生隊の先生は一安心。  意識が戻ったB二士に薬の服用が禁じられた。  「本多! しっかり見張っておけよ!」と言われたって…  今は中隊勤務じゃなくて教育隊臨時勤務中。  中隊も教育隊も掛け持ちできるワケないじゃん!!


 B二士にはできるだけ声をかけて体調を聞く尋ねる事にしました。  だけどそれも朝の短い時間だけ。  仕方ないじゃん!部屋に戻って来れないのが実情なんだもん。  昼休みは眠いんだもん!
 それでもできるだけB二士の事は気に留めてはいました。


 事件が起きる数日前。  B二士が僕を夜中に起こしました。  「殺される。」  なんとなくそんな雰囲気だったけど、「本多一士、夜中にすみません。 話を聞いてもらえますか?」と…。  「とりあえず殺されはしないみたい♪」  そんな雰囲気だったので、非常階段の踊り場で冷たいモノを飲みながら話を聞きました。


 「実は… 自分… 借金が理由で離婚してまして、手っ取り早くお金が貰える自衛隊に入隊したのですが、どうにも体がえらくて…」  B二士からは切実に淡々と過去の話を聞かされた。  給料のほとんどは借金の返済に充てられ…  手元に残るお金は数千円。  その数千円もパチンコに使っているらしく、パチンコで勝てば薬を買うらしい。
 結局、眠れないから風邪薬を買って、その睡眠作用で寝るらしい。  そのうち風邪薬を大量に飲んでも眠れなくなり…  ペンダントを使って自分で自分を催眠術にかけて眠ろうとしていたそうだ。
 

 「だったら酒飲んで寝ればイイじゃん!」  何にも知らない僕はそれしか言えなかった。

 「酒癖悪いし… 酒も原因で離婚したんです。」  薬よりは酒飲んで寝たほうが体にはイイと思ったけど…  僕に相談されたって金は貸したくないし、薬を渡したくないし、催眠術なんて使えないしね!
 
 「コツコツ借金を返済して、普通の生活ができるようにしなきゃね。  全部自分で撒いた種じゃん!  頑張って摘み取ろうよ。」と元気つけるだけで精一杯だった。


 何日も寝ていないらしいB二士。  眠れない事がどんなに辛くて苦しい事なのか全く分からなかった僕。
 究極の睡眠不足が引き起こした恐怖の瞬間。  人間の脆さ(もろさ)をその数日後に見る事になろうとは…  思わなかった。
by606