入隊式までの事 其の参
 午後からはお腹も膨れて眠いばかりです。 昼休みと言えどベットで横になる事は御法度。 床に座って下を向いてバレないように寝ていても怒られます。 これはキツかったです。 喋っていれば眠気も消えるけど… 精神的な疲れに無言の空気は瞼を重くします。

 「昼礼集合!」 12時55分に廊下に整列です。 
自衛隊には『朝礼』『昼礼』『終礼』と1日に3回の整列があります。 それに加えて、起床時と就寝前には『点呼』という身柄チェックも行われます。 新隊員のうちは点呼整列と言って、わざわざ外に整列しなければなりませんでした。

 「午後からは各班長の指示に従い、入隊式に向けて私物品の整理に努めよ!」と区隊長からのお言葉。 とても優しい言葉でした。 
 区隊長の名前は忘れたけど… モノクロ画像の中央で堂々と写ってる人が区隊長です。 三尉という階級で、昔で言うところの『少尉』に準じます。 もちろん幹部ですね。 年齢からみても防衛大学を出た超エリートです。 頭良さそうでしょ?

 班長からの指示は戦闘服と制服に階級章を縫い付ける仕事が各自に言いつけられました。 
戦闘服も制服も階級章や名札を付ける位置はミリ単位で決まっています。 角度も決まっています。 小さな階級章や名札だけど…生地がしっかりしてるので針で縫うのは容易ではありません。 だけど僕は得意だったんだよ〜♪

 こんな単純な作業でも、早さや正確さに個人差は出ます。 早い隊員で1時間。 遅い隊員で2〜3時間。 午後からは縫いつけだけで終わる勢いでした。
それでもなんとか全員縫い付けが終わると、班長が買い出しに連れて行ってくれました。
駐屯地内にある売店。 通称『PX』  未だにPXが何の略かは分かりません。 『売店=PX』という事で、事後はPXという覚えやすい英語を使うようになりました。

 まず買うべき物は風呂用具。 タオル・・石鹸・シャンプー・洗面器を買わされました。 種類は少なかったけど、物は大量にあります。 石鹸やタオルは家から持って来たのでラッキーでした。 バスタオルを買おうとした隊員を見た班長が「そんな物は必要ないよ!」と促していたのを覚えています。 洗面器は色が違うだけで全て同じ形。 さすがにケロヨンとかは書いてなかったです。
 シャンプーが一番迷いましたね。 こんな物を買うのも生まれて初めて! 皆が「ポンプ式のタンクの方がお得だ!」と盛り上がっていたので、僕もタンクのシャンプーを買いました。
 
 PXの中は小さなデパートみたいです。 本屋さん・お菓子やさん・薬やさん…普段必要な物は全て揃っています。 しかも免税なので定価の8割ぐらいで何もかもが買えてしまう。 100円のチョコレート1個でも80円。 班長・班付に何が必要かいろいろ聞きながらワイワイ楽しく買い物をする姿は、まるで修学旅行の学生。 仕事は楽だし、買い物は楽しいし、班長など上官は凄く優しい。

 PXで買い物をした後は駐屯地内の案内をしてくれました。 此処が理容店だよ♪ 此処が喫茶店! 喫茶店は3軒ぐらいあるかね♪ 笑顔で楽しく案内してくれました。 トレーニングジムは古かったけど… ビリヤード場やゲームセンターまであった。 
 晩飯の後で行くだろう風呂場も案内してくれた。 風呂場も幹部は特別に違う建物でした。 風呂やPXだけは単独で行けるらしい♪

 その他いろいろ案内してくれてるうちに課業終了のラッパが聞こえてきた。 普通に歩いてる他の隊員も立ち止まり、ラッパの音楽に合わせてゆっくり降りる国旗に敬礼している。 僕達は班長に言われるまま、ただボーっと突っ立てるだけでした。 

 そのまま食堂へ行き… 覚えたての要領で晩飯にありつけました。 晩飯は凄く豪華! カロリーも高そう!(この頃はカロリーなんて全然気にしなかったけどね) 
 晩飯を食べていて気がついた事… 昼飯の時には無かった『笑顔』を誰もが見せるようになっていた。 

 一旦部屋に戻って着替えと風呂道具を持って、とりあえず全員で風呂に向かいました。 やはり班長もしくは班付が一緒でなければ困るので、どちらかと一緒に行ったなぁ〜! 
 脱衣所に入ると凄く臭い(>。<) 職業病の一つでもある水虫の匂いが強烈だった。 銭湯みたいに鍵のあるロッカーではなく、蓋も何もない4段のロッカーがたくさんあるだけ。 貴重品や現金は盗まれる恐れがあるらしい。

 大勢の知らない人の前でパンツを脱ぐのは凄く抵抗があったけど、脱がなきゃ風呂には入れません。 しっかりタオルを腰に巻いて風呂場の戸を開けると、そこは見た事もない『裸天国』『男天国』でした。 その中で新隊員は直ぐに見分ける事ができます。 新隊員は全員が腰にタオルを巻いています。 他の隊員は申し訳程度にタオルか洗面器で前を隠しながら移動するか、全然隠さないで堂々と歩き回っています。 
 湯船を見て僕は倒れました。 汚い。 この世の風呂とは思えない汚さ! 白い粉みたいなフケなのか皮脂なのか判断できないものが浮遊しているではないか。 さらに倒れたのは、そのお湯で頭を洗ってる隊員。 僕は固まってしまったよ。 
 仕方ないから外周にたくさんあるカランの『湯』『水』のボタンを押して湯加減を何度も調整しながら体と頭を洗いました。 こんな汚い風呂は絶対に入りたくない。 でも大勢入ってるし… せめてカランじゃなくてシャワーでもあれば快適なのになぁ。

 帰りは各自で部屋に戻って、今日初めての休憩。 缶ジュースを飲みながら一息つきました。
体は疲れていないけど、精神的に酷く疲れた感じ。 部屋には小さなテレビが窓際に1つありました。 僕のベットからは凄く遠いので音しか聴こえません。 班付が一番見やすいように配置されてるのは手に取るように分かります。

 とりあえず細かい仕事は続いてます。 全ての官品に白いビニールテープを貼って名前を書かなければなりません。 気の遠くなる作業です。 しかも各自のロッカーの決められた位置へ決められた形で収納しなければなりません。 
 ベットの周りは散らかりまくりで落ち着きません。 次第に夜は更けてきます。 午後8時に点呼整列。 各区隊各班で整列して番号を言わされます。 全員揃ったところで今日の反省&明日の連絡。  明朝からは起床ラッパと共に点呼整列を命じられました。

 またまた部屋に戻って、番号順で部屋の掃除組とトイレの掃除組・洗面所及び洗濯場の掃除組に分けさせられました。 運良く部屋の掃除だったから嬉しかったですが…いずれはトイレ掃除の順番がきます。  高校時代は探偵物語とか、俺達は天使だ!が見たくて放課後の掃除なんて一切せずに、校門付近で立ってる先生を振り切って下校していた僕は掃除が大嫌いでもあった。
 でも此処では真面目にやったよ。 絶対ぶー垂れて横着こく隊員が居ると思ったけど、皆(一生懸命とは言わないけど)普通に掃除してました。

 掃除が終わってからは班付がベットの作り方を教えてくれました。 ビシッ! ビシッ!と毛布の角で手が切れるくらいしっかりと作らなければなりません。 見よう見真似で全員なんとか作ったけど… 器用な奴と不器用な奴のベットは凄い差がありました。 まぁ…どんなに綺麗に作り上げても数分後にはベットに入るのだから、どちらでもイイ事なのですがね! 

 歯磨きをする時間すらなく、午後10時に消灯ラッパが流れました。 なんとも寂しいラッパの音に気持ちが癒される気がした。 全員ベットに入るのが早いか電気を消されるのが早いか…
とにかく自衛隊で初めての夜。  静かな夜です。 怖いくらい静かだった事を覚えています。 たった一日過ごしただけなんだけど… 自衛隊って結構楽しいのかも知れないと思った。 想像していたよりも楽だと思いました。 
 そう思ったのは僕だけではなかったはず。 晩飯の時に見た2区隊2班の笑顔が全てを物語っていた。

by606