36 江田島研修
 つまらん後期教育期間で唯一楽しかった思い出が『江田島研修』でした。


 小学5年生くらいから昔の戦艦・空母・駆逐艦・巡洋艦さらには補給艦に至るまでのプラモデル(ウォーターラインシリーズ)を全部作っていた僕。  アルミ箔の上に置いてモノクロ写真を撮れば当時の勇姿を彷彿させる事ができて…上手く撮れた時には涙を流して喜んでいた若年性オタク症候群的小学生。
 
 おばあちゃんにお小遣い貰っては400〜800円程度(当時としては高価)な趣味に徹していた。  時々「そんなお金どこにあった?」と母親に問いただされ… 「おばあちゃんに貰った」と言ったら嫁vs姑の争いが勃発していたなぁ。  そのうちに母親は諦め、おばあちゃんからは何倍もお小遣いを貰ったり、せがんだりして全てのシリーズを完成させてしまった。  
 押入れは博物館状態。  置き場が無くて友達の家にも置いてあったほど。  

 おかげで戦艦や空母は細かい一部を見ただけで名称を言えるほどでした。  その後の人生には何も役には立たなかったけどね。


 そんなオタク人生と併走して戦記モノの本を読んでいました。  小学生ならコロコロコミックとか週間漫画を読むのが普通だったでしょうが…  漫画で読んでいたのは分厚い表紙の『のらくろシリーズ』ぐらいでした。  表紙が布製だったのを覚えている。  学校の図書館で誰も入らないような場所に隠してあった。  盗んで家に持ち帰りたかったほどでしたが…怖かったので暇な時や放課後・掃除中にコッソリ読んでました。

 戦記モノのメインは第二次世界大戦関係。  真珠湾攻撃からポツダム宣言に至るまではもちろん、真珠湾攻撃の数年前の事から極東国際軍事裁判までアホみたいに読んだ。  それくらい学校の勉強に熱中していたら…と言うほど読みました。  ほとんど忘れたけど。


 どの本にも登場していたのが江田島海軍兵学校
まさか皆さんの税金で江田島(広島県江田島市)まで行けるだなんて知らなかった!  前夜は嬉しくて眠れなかったほどでした。  使い捨てカメラを3個も買って遠足気分。  

 翌朝は朝飯を食べる前に私服姿で装甲車に乗って駐屯地を出発しました。  朝飯は車内で缶詰を食べた記憶がある。  揺れる跳ねる排気ガスが臭い自衛隊の装甲車の中で缶詰食べた。
 途中からは船に乗った。  船に乗って悲しかった事…  大勢の坊主頭でダサダサの私服姿。  しかも妙な自衛隊用語の連発。  普通なら「本多君!」とか「本多!」などと呼び合うのに、「本多二士!」。  「班長!」 「小隊長!」などと呼んでいる。


 船から下りて暫く走っていたら突然「全員制服に着替えろ!」と班長命令。
揺れる跳ねる排気ガス臭い装甲車の後ろのカーテンを閉めて男数十人が一斉に着替え始めた。  まるで風呂場の更衣室。  いま装甲車が事故をしたら…  『自衛官十数人、装甲車の中でパンツ一丁』という見出しで報じられた事だろう。
 中にはブリーフ一丁で黒い靴下&黒い革靴だけで仁王立ちしている隊員も居たし…。  結構面白かったけどね!


 江田島海軍兵学校の入り口は旧海軍そのものでした。  もの凄く重い雰囲気だった。  なにが感動したかって… 白い七つボタンの制服を着た隊員が大勢居た事。  この白い七つボタン(丈は短ラン)は自衛隊に入隊する前にもらったパンフレットで憧れたなぁ♪  やっぱり海上自衛隊に入れば良かったなぁ。(航海ならぬ後悔)

 装甲車の中で着替えさせられた理由も分かった。  こんな所に馬鹿丸出しの私服姿では入れない!  制服・制帽を調えて装甲車から降りました。  暑かった!  兵庫県からさらに南に移動したから気温も高い。  しかし潮風は意外にベトつかず、爽やかな風でした。  
 ただ…  此処(江田島海軍兵学校)の意味も分からずに来た隊員には退屈極まりない場所。  高校を卒業してもビーバップハイスクールしてる隊員には白い七つボタンを着た隊員は他校の生徒みたいにガンを飛ばしてる始末。  上の画像で誰かは分かると思うけど…。  とにかく恥ずかしかった。  だいたい僕らなんか相手にもされてないのにね。


 仲の良かった隊員5名くらいで行動。  いろんな建物を見た。  旧海軍の教育隊をなんとなく勉強できた気がしました。
 入って良い所と入ってはイケナイ場所がありましたので、たまたま行き会った此処に駐屯していた年配の幹部隊員が案内してくださったので、入ってはイケナイ場所まで入る事ができました。  いろいろ説明してくれて凄く勉強になった記憶があります。  
 途中で「あそこが教育参考館と言って、君達みたいな隊員には是非入って何かを得てもらえたら嬉しいね!」と幹部の人に言われた。  海上自衛隊の階級章は凄く難しいので、この隊員の階級は誰も分かりませんでした。  「ありがとうございました。」と言って幹部のかたと別れました。


 僕らは言われたまま教育参考館という建物に入りました。  そこで目にしたモノは人間魚雷『回天』にまつわる資料でした。
人間魚雷って… 皆さんよく平気で使っていませんか?  最近ではゲームでもあるみたいですが。
 人間魚雷『回天』を本で読んで知ってました。  プラモデルもあったので作りました。  作った中でも一番つまらなかった覚えがあるし、制作時間も数分。  値段も安かった。

 だから『回天』という文字を見て、「ああ回天ね!」ぐらいに思いながら順路を進みました。
人間魚雷の意味&仕組み。  それだけ見ただけで今までの『人間魚雷』という概念が一瞬で崩れた。  歴史を紐解いて… 別の場所での訓練。  人間模様。  出撃から死に至るまでの経緯。  途中からは涙を流しながら資料を見た。


 訓練の猛烈な厳しさ。  訓練中に亡くなる隊員の多さには驚いた。
 家族や愛する者との別れ。  隊員の遺書や時世の句はたくさん残っていました。  この遺書や時世の句は一人延々と読んでいた。  あまり時間が無かったので、ゆっくりは読めなかったのが残念。
 

 この教育参考館に入る前と出る時に、自分というものが180度変わった気がしました。  入る前は戦艦や戦闘機、細かく言えば特攻隊とかをカッコ良く思い、憧れみたいに思っていた。  しかし出る時には、そんなふうに戦争を思っていた自分を恥じた。
 人間魚雷『回天』の存在を何人の人が知っているのだろうか?  ゼロ戦とかの特攻隊なら誰でも知ってるだろうけど…。  右でも左でもない僕。  その日から戦没者の慰霊碑を無視する事をしなくなりました。

 こんな事を書いてる今、機会があればまた一度行ってみたいと思いました。  ただ…Gパン&スニーカーでは行けないので(場違いなので)、いつかスーツが似合うようになってからにしよう。


 帰り際… 二列縦隊で装甲車に戻る途中で案内してくださった幹部のかたと偶然すれ違いました。  教育隊長(一等陸尉)が僕らを停止させて敬礼をした。  この幹部の人…雲の上の階級だったそうです。  勲章みたいな階級章だからわからねーよ!  僕と目が合ったのでニコッとして挨拶しました。  


 たった2時間ぐらいの見学だったけど、凄く意味のある2時間だった気がしました。  今後の自衛隊生活でこの2時間が役に立った気がします。  もちろんそれ以降の人生に大きく影響した2時間でした。

 それからは厳島神社とかに寄って装甲車に揺られて駐屯地に戻った。  
同じ時間を自販機の前で寛いで過ごしていた隊員。  同じ時間を海を眺めていただけの隊員。  それでも給料は同じなのが自衛隊なんだなぁ〜。  いかに時間を大切にするか…。  ただでさえ決められた枠の中に押し込まれている僕ら。  今の時間の使い方も考えさせられた江田島研修でした。

by606