24 25km行軍
 25km行軍の前には10km行軍なるものがありました。 それはそれは楽しい遠足みたいなものでして軽装で豊川駐屯地周辺をブラついただけの訓練でした。

 10km行軍は教育期間初期にありましたが… この25km行軍は戦闘訓練の検閲後に行われた最後の山場だった。
いろんな所に行く事が大好きな僕だったので結構楽しみにしていた訓練でしたよ♪ 

 前日の午後から行軍に備えての荷造りが始まりました。
入隊時の官品授受の時から「いつ使うのだろうか?」と思っていた自衛隊では『背のう』(はいのう)と呼ばれるリュックサックにいろいろと詰め込んだ。
 詰め込んだ物…戦闘弾入れ(小銃用)、戦闘救急品袋、戦闘飯ごう、戦闘水筒、戦闘シャベル、戦闘雨具、個人天幕(テント)一式などなど総重量15kgを遥かに超える装備。 これを背負った時にバランスが良くなるように詰め込んだりベルトを調整したりしました。
 遠足前日にオヤツを買いに行くように楽しくやったよ♪

 その日の夜は『明日は遠足』という感覚でどの隊員も笑顔でした。 だって一日中遊んでいられるような仕事だもんね!

 翌朝は起床と同時にバタバタしました。
朝飯を食べたら速攻で集合です。 午前8時の朝礼よりもかなり早い集合でした。 15kgの背のうを軽々と背負って64式自動小銃を武器庫から出します。 15kgの背のうを背負いつつ右肩に5kgの自動小銃か掛けます。 都合20kgを背中と肩で受け持つ。 20kg… ここからの話は家にある詰まった米袋20kgを持ち上げてから読んでもらえれば臨場感UP!

 集合時は今にも雨が降りそうな空。 それでも皆元気いっぱい!
1区隊1班から駐屯地の正門を出発します。 これから何処へ行くのか… 何処に向かうのか全く分からないミステリーツアーみたいな訓練。 交差点付近では信号を使いません。 各班ごとに班長が「渡る用意!」と大声で号令をかけます。 もちろん僕らも「渡る用意!」と復唱します。 そして車が来ないのを確認した上で、「渡れ!」と発して12名が一気に道路の反対側に渡るのです。 集団斜め横断ですね♪ これがまたワクワクして楽しかった。

 出発時から楽しい号令で僕らもテンション上がります。 擦れ違う女子学生を好奇の目で眺め… カッコイイ車を見たり、景色を楽しみながら前後の隊員とお喋りしながら行軍を楽しみました。

 どれくらい歩いたか分からなかったけど…途中で雨が降ってきました。 全隊員安全な場所で背のうに詰め込んだ戦闘雨具を出して着込みます。 班長・班付の指示で雨具は出し易い所に格納してあったので出すのは楽でしたが… 戦闘服の上にしてあるサスペンダーが面倒くさかったです。  小雨だったので雨具は上半身のみ。

 速やかに行動して速やかに出発です。 その時思った事。 背のうを下ろした時は体が宙に浮いてる感じ! 自分の体重が0kgになったのか… 無重力になったのかスッゲー錯覚が起きた。 ところが再び背のうを背負った時は15kgだったはずなのに、なぜか30kgに増えたような錯覚が起きた。 さらに64式自動小銃ってこんなに大きかったかな?という錯覚も起きた。

 体は正直です。 時間が経つほど… 歩いた距離が増すほど… 背のうと自動小銃が重くなってきます。
そう感じる前までは遠足でした。 そう感じてからは拷問です!!

 全隊員無口のまま神社の境内にて小休止&昼食。 
昼食は缶詰(>。<) しかも缶詰に付いてる小さな缶きりで開けなければならず… 腹が減って早く食べたいのに缶がなかなか開けられずにイライラしました。
 かれこれ4時間ほど歩いた。 10km行軍の時は昼食を駐屯地で食べたので、計算すれば半分くらいは既に歩いてる。 いや…もしかしたら半分以上は歩いてると思ったので、班長にあとどのくらい歩くのか聞いてみた。

 「そうだなぁ…此処までで約10kmだから残り15kmぐらいだな!」と…。  

聞かなければ良かった。 まだ半分も歩いてない。 此処から来た道を戻るだけでも5km余る。 来た道を戻って更に半分歩く計算。 これには恐れ入った! 25km行軍を甘くみていた。 残りの距離数を教えてくれた時の班長の顔は今でも忘れない。 笑い顔を隠した真顔! 「楽しく苦しめ!」と言わんばかりの顔だった。

 昼食の後に少しだけ休憩がありました。 僕は半長靴を脱いで足の裏をマッサージしたり、肩を揉んだりして体を休めてましたが… 元気な隊員は走り回って遊んでます。 元気な隊員…それは荷物を降ろしたから体が軽くなっているだけ。

 集合がかけられて急いで半長靴を履き、背のうを背負って小銃を持って整列しました。
此処からは3区隊1班から進みます。 2区隊2班は1区隊1班からでも3区隊1班からでも変わらない位置だから面白くなかった。
 空腹は満たされたけど、疲れも確実に満ちてきてます。
 歩き始めて直ぐに背のうのベルトが肩に食い込んでくるのが分かりました。 特に右肩は小銃を掛けてるので重く感じるだけでなく痛みとして肩に食い込みます。
 もう誰も喋ってません。 集団斜め横断の時は前方の車も後方の車も確認せずに無気力で横断してる。

 背のうと64式自動小銃の重さは肩から足腰にまで負担がかかってきました。 さらに追い討ちをかけるかの如く鉄パチ(鉄製のヘルメット)の重さで中に被ってるプラスチック製のヘルメットの頭に当たるネットまでも脳天に食い込んできて痛い。 ジワジワと疲労と痛みは僕らを襲い始めてきています。

 【自衛官とは面白いものでして… 背のうと64式自動小銃を合わせた、同じ20kgを背負うなら体格がイイほうが楽だと思うでしょ! 確かに痩せて非力な隊員よりも体格のイイ隊員の方が同じ20kgでも軽いと感じるはずです。 でもそれは、ただ持って立ってるだけなら体格のイイ隊員のほうが有利です。 しかし動き回る事を思えば痩せて非力な隊員の方が(もしかしたら)有利なのかも知れません。 結果… 真っ先にダウンしたのは体格のイイ隊員だったからです。 それは4年間努めて、数々の演習を経験しても思い続けていました。】

 本当に肩は苦しかった。 「自衛官辞めたいですか?」と聞かれたら「今すぐ辞めたい!」と答えれた。
頭はヘルメットの重さで痛い! 足も悲鳴を上げてる! 誰とも喋る気になれない。 黙々と歩く。 もしかしたらこれが本当の『行軍』という物なのか? 戦記では50km、80kmの行軍なんて普通だし… 行軍で有名な映画『八甲田山』なんて雪山の行軍だし! 実際は行軍してから突撃なんだもんね。 25km歩いてから戦闘訓練の検閲を受けるのが本来なのかも?

 現在地も歩いた距離も分からないまま… ただただ黙々と歩き続ける。 時々、小隊長や教育隊長が乗ったジープが追い越したり前から来て擦れ違う。 「幹部は楽でいいよなぁ!」と誰もが思った事だろう。

 朝は笑顔で登校途中の女子学生や、通勤途中のカッコイイ車を眺めていたけど… 下校途中の女子学生も帰宅途中のカッコイイ車も今となっては興味が無い。 前を歩く隊員の半長靴周辺しか見る事ができなかった。

 頭・肩・足が痛くて涙が出てきたのを覚えてます。 苦しかった戦闘訓練だったけど、戦闘訓練なんて今思えば『楽』だ! まさかこんな苦しい訓練が終盤に待っていたなんて。 『戦闘訓練が終われば後は楽』 班長が言ったあの言葉はいったい何だったのだろうか? 確かに歩くだけの訓練なので楽だとは思うけど… まさか歩くだけで泣くとは思ってもいませんでした。

 「もう疲れたよ!もう嫌だよ!」と僕の前を歩く隊員が呟いてた。 とっくに午後5時の課業時間を過ぎてます。 早く帰って風呂入って横になりたい。 とにかく背のうを降ろしたい。 

 何処だか分からない広い空き地に整列しました。 駐屯地内ではなかった。 ヨボヨボの教育隊長のお出まし!
教育隊長: 「よく此処まで頑張った!お疲れさん!」
全隊員心の叫び: 「この野郎の仕事は励ますだけかよ!!」 
教育隊長: 「此処から残り1kmぐらいだから全隊員は元気に駆け足行進で駐屯地に入ろうじゃないか♪」
全隊員心の叫び: 「ぜってー殺す!」
事実…小隊長以下も驚いてました。

 ヘラヘラと各区隊ごと記念写真を撮ってから、各区隊ごと銃を抱えて駆け足行進して駐屯地に向かう。
静かに歩いていても重く食い込んで痛い背のうと鉄パチが駆け足の振動で10倍痛い。 挫ける隊員続出! そりゃあムカつくわなぁ! 

 駐屯地の外柵が現れた時は少し嬉しかった♪ 駆け足行進と同時に掛け声を出しながら行進した。 
正門を潜った時は苦しい涙も嬉し涙に変わったよ! やっと終わる。 早く駆け足行進を解除してくれ!と思ったら… そのまま駐屯地内を1周させられた。 これ以上バカになれないくらいバカになって25kmと駐屯地内1周の行軍は終わりました。

 終わったらまた整列です。 教育隊長の訓示がありましたが、気違いの訓示など耳も貸しません。

 その日の夜は消灯ラッパ以前に激しい鼻ラッパ(イビキ)の応酬でしたよ。 今日まで生きてきた中で一番苦しかった一日だった。
by606