22年後 青野ヶ原駐屯地に行く

 2012年・9月2日  左手に演習場、右手に弾薬庫と訓練場を眺めながら青野ヶ原駐屯地に到着。


 営門(正門)を開けて中に誘導してくれたのは若い婦人自衛官さん。  別に狙ったワケではありません。(狙いようが無い)  WAC(婦人自衛官)さんが中隊に配属されたのは、僕が退職した数日後からでした。  男ばっかの世界がイイのか?  女性隊員が1人でも居たら良かったのか??  退職後、それだけが謎に包まれていたけど…  22年後のこの日に謎が解けるとはね。


 営門を越えると見た事も無いコンクリート製の大きなバリゲートがジグザグに2つ置いてありました。  昔と違った重苦しい雰囲気を味わい…  とりあえず警衛所でのボケは控える事にしました。


 新隊員後期教育隊で同期だった中田君(仮名)と面会という形で駐屯地に入る。  その中田君を待つ20分間は、間が持たなくて困った古きOB。  駐屯地に立ち寄ったけど勝手が分からなくて、飾ってあるだけの戦車を見て帰って行くだけの一般見学人の姿を当時何度も見ていた僕だったので、今まさにソレと同じ状況の自分。


 WACさんにも驚いたけど、警衛所にエアコンが付いていたのでビックリしました。  自衛隊にエアコンがあるなんて信じられなかったわ!
 さらに『差し入れ』にと持参したお菓子も丁寧に断られた。  22年前だったら喜んで貰って、速攻で分けて食べたのになぁ。  中田君に会うまでに、ビックリする事の連続だった。
 

 警衛所の向こうからルーズな服装で中田君が現れた。
 「おおおお! 久しぶりだね!」 とお互いにハモりながら再会。
 「全然変わってないやん!」 とお互いにハモりながらプチお世辞。
妻の紹介もそこそこに、22年ぶりの再会を喜び合いました。


 一度喋り出したら止まらない性格の中田君だったので、会話に困る事は全然なく…  それどころか22年前から今日までの事を一気に喋ろうとしたので…
 「とりあえず中を案内してよ。」  
と加速し続ける中田君の口を一旦止めて、3人で歩き出しました。  このまま喋らせていたら、警衛所の裏を見ただけで終わっちまう。


 歩き始めて懐かしさが残る部分よりも、見た事が無い建物がいっぱい建っていたので、僕の方が中田君に質問攻め。
 「あんな建物あったっけ!?」 と軽く質問をすれば…  以前の状態から、いつ頃建て始めて、建ててる時の様子も、いつ頃完成して何に使っているのかまでスッゲー詳しく教えてくれました。  『その建物が何か』だけで良かったのですがね。  そこが中田君の良いところなのです。  とにかく一生懸命過ぎる性格。



 青野ヶ原駐屯地のメイン道路の向こう側(駐屯地の真裏側)の景色が違った。
 「あんなに見通しが良かったっけ?」  何気なく呟いた僕の一言に中田君は鋭く反応。
 「あーっ! あそこに何があったか覚えてますかぁ!?  山! 山があったっすよ! その山を削って3階建ての隊舎が2つ建ったんですよーっ!  凄いでしょう♪」
この日一番興奮した口調で説明する中田君。  僕はあまりの変わり様に放心状態。
確かに山だった。  山というより駐屯地の一番奥だった所。  僕の記憶に残っている絵をおもいっきり消しゴムで消した状態が目の前に広がっている。
 加西市方面丸見えだし、めちゃめちゃ風通しがイイやん!  
 イキナリ見た激変で、これから先まだまだ見るだろう22年前との変化が怖くなってきた僕。



 22年前には無かった立派な体育館が出来ていた。  僕が居た頃は社務所みたいな狭い体育館で、誰も使ってなかったのに…  あの広さは学校並み。  体育館の入り口には、一枚板に『体!育!館!』と達筆な字で書かれた看板が印象的でした。



 食堂は水平移動して、22年前より小さく低くなっていました。  隊員が少なくなったので小さくなったとの事。  

 『隊員が少なくなったので…』  その真相は簡単な事でした。
 22年以上前は地対空誘導ミサイル『改良ホーク』が主力だったのに、今は中SAMという最新式の地対空誘導弾に取って変わったらしい。  4つ有ったホーク中隊も、1つになり…  その残された1つの中隊も、今年の3月に分解されて中SAMの中隊に配属されたらしい。  その最後の中隊こそが、僕が在籍していた第309高射中隊。


 309高射中隊の解散式には、過去に在籍した隊員(三等陸曹以上)に文書で通達(解散式のお誘い)があったらしい。  陸士長だった僕には届かなかったし、何も知らなかった。
 331中隊 332中隊 333中隊が2つの中SAM中隊になっていたのは自衛隊白書を書いていた頃にPCで調べて知っていたけどね。  まさか309中隊が無くなっていたとは!  26年前に憧れて念願叶って配属されたホーク部隊が消えるなんて…  もの凄いショックだったよ。


 で…中SAMになると機材が極端に少なくなり、必要とされる隊員の数も少なくなるので、少ない隊員で任務が遂行できるという事。
レーダーや発射機は装甲車に装備され…  人の手首ほどの太さで何百メートルもの長さがあったケーブルは、指の太さほどに細く改良されているので、なにもかもがもの凄く簡素且つ正確になっていた。
 これが22年という歴史。  戦闘に要する人員は少なくて済むようになっていた。



 営内陸士と営内陸曹の居室(独身部屋)は驚く無かれ全室冷房完備!  スチーム暖房は僕の時代からあったけど…  冷房は食堂と娯楽室にあっただけ。  警衛所に冷房が効いていただけで驚いたのに、今や一般居室にまで冷房完備とはね。  驚きよりも溜め息ばかり。
 16人で1つの扇風機を奪い合う様に使っていた頃が嘘みたい。


 梅雨時でも洗濯物が乾くように、除湿効果のある乾燥室まであるとの事。  普通の家以上やん!  だんだん此処が血と汗と涙の陸上自衛隊という気がしなくなってきた自分。  そのうち全隊員が潔癖症の必須アイテム『ファブリーズ』を腰にぶら下げて歩く時代がくるんじゃねーのか??  泥まみれ、草まみれの自衛官は昭和の遺物と化していく??



 水虫臭い懐かしい大浴場の外観はそのままだったので、プチほのぼのしたけど…  中はメチャメチャ綺麗に改装されたらしい。  当時、日本一綺麗な大浴場で有名だった青野ヶ原駐屯地。  メチャメチャ綺麗に改装されたという事は、もしかして壁に富士山の絵とか描いてあるのでは?  湯船の横にはマーライオンがお湯を吐き出していたり、マーメイドやビーナスが…  嗚呼、想像しただけで満足。  わざわざ中を見るのも面倒だったので、中田君の説明だけ聞いて通過。



 PXが開く午前10時まで20分ぐらいあったので、すっかりリニューアルされた喫茶店・理容店・クリーニング店をシャッター越に眺めました。  なにもかもが綺麗になったなぁ。  
 喫茶店の中にはビールサーバーが置いてあった。  夜は居酒屋(駐屯地内クラブ)になるらしい。  昔は駐屯地の端っこまで10分ぐらい歩いて駐屯地クラブに行ったのに…  今や風呂場の前だよ。



 さすがに10時近くになると暑さが堪える。  でも限られた時間内に何か1つでも多く感動を味わいたかったので、3人で再び歩き始めた。



 社務所みたいな体育館は物置になっていたけど、外観は昔のまま。  空手の初段を持っていた僕は、わざわざ家から胴着と黒帯を送ってもらい、この体育館で少林寺拳法の練習をしてる幹部隊員と勝負をしてボコボコに負けたなぁ。  今は物置かぁ。  新しく建っていた体育館で勝負していたらボコボコに勝っていたかも♪  狭かったのが敗因という事にしておこう。  今更ながら。



 そして既に無くなっている元309中隊に行ってみた。  廊下ってこんなに狭かったっけ?  僕が過ごした陸士部屋3班の居室は事務所になっていました。  扉を開けて中に入る事は許されないので、扉の前で目を閉じて思い出に耽った。
 「入ってすぐの左側に僕のベッドがあったんだ。」
 「真ん中に共同のテレビが置いてあったけど、チャンネルの権利は先任士長ではなくて、テレビを買った隊員だったんだよなぁ。」
 「泣いたり笑ったり怒ったり… 毎日消灯まで楽しく遊んだ居室。」
 「江藤は隣の居室だった。」
自衛隊白書に書き続けた事も、書き忘れた事も、書けなかったことも、あの3年半の出来事がリアルに思い浮かんだ。
そんな自分が居た中隊は今はもう無い。  汗より熱いモノが瞼から流れました。  胸が苦しかった。
 それでも自分が過ごした場所を妻に見せる事ができて良かった思う。



 午前10時になったので3人ですぐ向かいのPXに向かった。  中田君と会ってまだ1時間しか経っていないけど、いろいろあり過ぎて半日過ぎたくらいの疲労感。  レーシングシューズで歩き続けていたので、足の疲れも酷かったです。
 PXは小さなコンビニになっていました。  昔は厚生課直結で食品・日用品はもちろん、なにもかもが免税価格。  消費税5%どころか、3%も無かった時代だったので、市価100円の缶ジュースが80円くらいで買えたのに、今は通常価格。


 PXで買いたかったモノは自衛隊グッズ。  迷彩柄やOD色の自衛隊グッズがたくさん売ってました。  やはり僕はOD色が好き!  でも現役の頃なら役に立つグッズだけど、今の生活で必要なグッズは殆ど無いという事に改めて気づいた。


 いろんなモノをどっさり買うつもりでPXに入ったけど…  なんだかんだで用意した予算の半分も使う事はなかったです。
 自衛隊のカレーライス・自衛隊のお菓子などの納品先は定年幹部の天下り先だとかリアルな話を聞いてしまったら、2つ買えば十分だと思えるし…  迷彩色のバックなんて何処で使うか考えてしまう。
 
 この迷彩色も数年単位で微妙に変わるらしい。  中田君も笑っていた。  いったい誰が儲けているのだろうね?



 PXで買い物をして建物を出る時に中田君がタバコを自販機で買おうとしたけどタスポを車に忘れて来てしまったので、PXの店員さんにタスポを借りて購入した。
 「面倒な自販機だね!」とツッコミを入れたら、今は未成年者がタバコを吸えない規則が出来てて、かなり厳しく見張られていると教えてくれました。  しかも建物内での喫煙も禁止。  駐屯地内でタバコが吸えるのは僅か数箇所らしい。
 昔は18歳でもタバコが買えたし、吸えたし、居室でも何処でも吸えたし…  なにがどうなった??



 中田君はタバコを吸いながらいろんな事を語り始めました。
 現在の階級は二等陸曹。  ちなみに江藤は一等陸曹だとか… (江藤は要領がイイでなぁ)。
 僕が後期教育で発射機の整地撤去を教えた一年後の後輩は、意外に大勢が青野ヶ原に残っている事も教えてくれました。  その中で一番優秀だった新隊員は今や二等陸尉だとか。  そんな教え子の成長ぶりや頑張りぶりを聞いて、また涙が出そうになりました。  教え子に一番も二番も無いけど…  やはり階級が物を言う縦社会なので、競争は仕方ない事ですね。



 僕らが入隊した頃は景気が良かった時代なので、自衛隊が迎え入れてくれる環境だったけど…  景気が悪くなったら入隊試験も競争率が上がって、真面目で頭のイイ人間が次々と入ってくるようになったらしい。  そんな事は僕でも分かっていた事だったけど、その頭の良さは半端ないらしい。  そんな隊員と互角に昇進試験をして、互角に渡り合えるワケはないですね。  後から入ってくる新隊員に次々と階級を追い越されているのが現状だとか。  

 「僕みたいなのは必要ないんですわぁ!」と…  吐き捨てるように呟いた。



 各中隊に配属されている数名のWACに至っては大学卒ばかり。  WACが配属されて中田君は化粧をして歩くようになったとか(^-^)  やはり男ばっかのほうが過ごしやすかったと…  それは女性を意識するか意識しないかの問題なのでは?  



 そんな頭のイイ真面目な隊員ばかりだから、交通違反を1つでもすれば東京ドーム1個分くらいの汚点を残す事になり、始末書の枚数も震えがくるぐらいあるらしい。  中田君の性格上、やはり汚点は多いらしく…  年俸も数百円程度しか上がらないみたい。

 「あの頃が一番良かったと思うよ。」と…  タバコをフィルターギリギリまで吸いながら、また1つ吐き捨てるように呟いた。



 お互いにそろそろ帰らなければならない時間になったので、警衛所に向かって歩き始めた。
 隊舎と隊舎の真ん中の広い道を歩いて…  この場所に朝礼と終礼で整列して、毎日国旗に向かって敬礼をしたなぁ。
 天皇陛下が崩御された日に制服を着て撮った写真に、僕よりも低く細い桜の木が写ってたけど…  その桜の木が隊舎の3階に達するほど高く太く成長していた。
 中田君が「この桜の木は大きくなったでしょーっ!」と元気な声で叫ぶように僕に問いかけてきたので、「うん!うん!覚えてる! あんなに小さかったのにね♪」と再び笑顔を取り戻して、笑いながら歩いた。



 警衛所の近くの公園で遊ぶ親子。  父親のほうから、「本多士長! 久しぶりですねぇ! 全然変わってないから、そうじゃないかと思いましたよ。」と声をかけられる。
 (>。<)心の中で「誰だったっけ?」と…  必死で名前を思い出すが、思い出せない。  声に聞き覚えはあるけど名前がどーしても思い出せない。
 「忘れたとは言わせんぞ!」  僕だって忘れたとは言えないよ。

 「外山(仮名)曹長だよ。」と小声で中田君が教えてくれたので、「おお!外山じゃん!」と叫んでみたけど、中田君の小声は外山君にも聞こえていた気がする。  僕と中田君の3ヶ月後輩だ。  しかも外山君は僕と同じ309中隊で仲が良かった後輩。
 詳しく309中隊の事を教えてくれました。  懐かしい名前が次々と飛び出して…  同じ元中隊の隊員に会えて良かったです。

 「よく宴会をやった焼肉屋はまだ営業してるの?」と聞いたら、「あそこは2回ほど食中毒を出して名前が2回変わってるよ。」などなど…  ちょっぴりあの頃に戻れた気分だったし、自分が現役自衛官に思えました。



 もし…  退職しないで、あのまま陸曹候補生になっていたら…  そんな事をつい考えてしまった。
真面目に考えて振り返ったら22年が嘘になる気がしたので、すぐに考える事をヤメました。  考えたって無駄な事だ。  22年前にはもう戻れない。
 無いもの強請り(ねだり)。  やっぱり自衛隊での生活は楽しかったから。  でも『家業を継がなければ…』という考えと、自衛隊が嫌で辞めたんだし…。

 いろいろな思いが複雑に絡み合った。

 柵の中と柵の外。  あんなに憧れ続けた柵の外だったのに、ちょっぴり憧れた柵の中。


 「帰ろう。」

 「明日から自衛官に負けないくらい頑張って、自衛官より笑える日々を送ろう!」



 中田君に地酒を渡して駐屯地を出ました。
 ボケーっと突っ立ったまま柵の内側から見送る中田君に1時間前の笑顔は無かった。  僕は運転しながらおもいっきり手を振った。  もう二度と此処には来ないと決めたから、涙をこらえておもいっきり手を振りました。


 18歳の頃の中田君とのツーショットは自衛隊白書の39章に載せています。  自衛隊名物『トイレ掃除』の真っ最中の写真。  懐かしい。  気持ちはあの頃ままだよ。

 ありがとう。







 22年ぶりに陸上自衛隊・青野ヶ原駐屯地に行き、22年という時の流れに『恐ろしさ』を感じたのが本音です。
 僕が22歳の時に44歳くらいだった隊員(中堅陸曹)は既に定年退職。  中には病気で亡くなった隊員も数名。  少し若かった世代は中隊の幹部・駐屯地の幹部という役職に出世している。
 そんな事を知ると、一日一日をもっともっと大切に生きたい!って…  考えちゃうね。

 最終章で書いた『現在の自衛隊って恵まれてて羨ましいよ』という気持ちは撤回。
確かに恵まれている部分は多かったけど、いつの時代もそれなりに大変だという事を知りました。
時代はいつだって変わらない。
変わるのは自分。
良くするのも、悪くするのも自分だって事。



 近々、同期生16人で大阪に集まる計画があるそうだけど…  その時はまた笑顔で走って行きたいです。







結界
by606