最終章 温故知新 |
高校を卒業して、大学に進学するかの如く入隊した陸上自衛隊。 憧れとか目的とか全然ないまま入隊した陸上自衛隊。 もちろん夢や希望も持たない(持てない)で入隊した陸上自衛隊。 『無』の心で入隊したから4年間続ける事ができたのかも知れない。 惰性とは意外に凄い力なのかも! だけど、『100%無』だったのかと聞かれれば、何%かは何かが有った気がする。 『何%の何か』は何だったのだろう? やりたい事が他に無かったから… 頭が悪かったから… ふふふ♪ 正論だ。 高校3年間、実習教育で着ていた作業服・作業帽・地下足袋を卒業できたと思ったら、今度は戦闘服・鉄パチ・半長靴。 なんの因果かね? カンカン照りの下、雨でグジュグジュの中、暑い寒いは当たり前! そんな状況下での匍匐前進。 国を守るとかカッコいい事を言う前に、「もぅうんざり!」早く一日が終わってほしいと願う毎日。 自分が自分であり続ける事(自分自身を守る事)が精一杯だった。 『俺がお前ぐらいの頃はなぁ!』 愚痴か?厭味か?それがダメ上官(不良隊員)の叱り言葉だった。 あんたの新兵時代なんか知らないし、悪いけど興味もない。 あんたの新兵の頃がどうしたの? 今より厳しかった事ぐらいよーく分かるよ。 どうせあんたの上官も同じ事を発してたのでしょう? きっと現在の自衛隊で『俺がお前ぐらいの頃はなぁ!』と言ったら、笑われてお終いのはず。 この言葉… 大嫌いだった。 前期新隊員教育期間は豊川駐屯地で3ヶ月間の教育を受け… 後期新隊員教育期間は青野ヶ原駐屯地で3ヶ月間の教育を受けた。 この6ヶ月間は本当に厳しかったなぁ。 でも前期は100人弱の同期生の中、後期は18人の同期生の中だったから、皆で励まし合いながら夢中で駆け抜けた半年だったと思う。 中隊に入ってからは、肉体的な苦労は減りつつも、精神的な苦労は教育隊の頃より多かった。 江藤から受けるストレスは膨大だったよ。 何度も辞めたいと思ったし。 嫌な事やツライ事は多々あったけど、それを乗り越えた時の清々しさは格別。 むしろ快感だった。 嫌な事やツライ事ばかりじゃなかった。 数は少ないけど嬉しい事や楽しい事もあったもん。 嫌な事やツライ事が多々あっただけに、ほんの小さな幸せがスッゲー大きな幸せに感じた。 自動車教習所では扱う乗り物こそ違えど、予科練そのもののシゴキに耐え… 駐屯地の飯炊きも、嫌な思いをしながら丁稚奉公の厳しさを覚え… ASP訓練では自分たちが組み立てた実弾ミサイルが見事命中して、計り知れないくらいの感動を味わえたし… 陸曹候補生の一件では、此処で上手くやっていくには点数稼ぎが大事だというのが垣間見れた。 18歳から22歳までの4年間は、夢と現実の間で生きていた気がする。 匍匐前進なんてナンセンス! だけど、見えない敵に向かって匍匐前進をするのが仕事だとして給料を貰う。 国内で実弾ミサイルを発射できないからアメリカまで行って発射する。 それじゃあ緊急時に国は守れないでしょ? 矛盾を考えたらキリがない。 夢と現実=矛と盾 雨の演習だけは、泣きべそかきながら「夢なら覚めて!」と何度願った事か分からないくらい辛かったなぁ。 雨の演習の辛さだけは一生忘れないし、生涯自分のバネになる。 「入隊しなきゃ良かった。」と現役の時はよく思ったよ。 でもそんな自衛隊だったけど、退職してからは「入隊しなきゃ良かった。」と思った事は一度も無い。 「入隊して良かったなぁ♪」と…あの頃を振り返る事ができる。 いい経験ができた。 お金払っても、どんなに勉強してもできない経験ができた。 確かにあの4年間は鎖国化した青春時代に思えるけど、僕的には生涯残る輝かしい青春時代。 数え切れない出会いがあった。 全国津々浦々から集まった個性豊かな馬鹿野郎たち。 今となっては、町ですれ違ってもお互い分からないだろう。 それでいいし、そうでなければイケナイのかも! それが思い出なのかな? これで自衛隊白書(JGSD)は終了。 僕のつまらない思い出話を読んでくださって感謝です。 報告書の感想はほとんど頂けないのに、自衛隊白書の感想は結構頂く事ができました。 本末転倒という四文字熟語の意味を知りましたわ。 2007年6月30日から書き始めたJGSD。 2011年3月31日を持ちまして終止符を打たせていただきます。 あの頃にblogがあったら… 毎日更新して、自衛隊をクビになっていたに違いない。 愚痴愚痴通信ってね! 3年と9ヶ月間どうもありがとうございました。 by606 |
だけどさ… 現在の自衛隊って恵まれてて羨ましいよ。 タコ部屋が無くなって個室化されたりして、いろいろ快適になっているはず。 携帯電話もPCも個人所有できるのでしょ? 幸せだと思うよ。 ったく! 「僕が自衛隊に居た頃はなぁ…。」 あ… 言っちゃった(>。<)@ |