154 退職金

 自衛隊に入隊した時の初任給が9万そこそこ。  あの時は三ヵ月分のバイト代が一ヶ月で稼げた事の喜びと、全部お小遣いになる喜びをWで感じた。  食費も家賃・光熱費、さらには衣服も与えられて…  貰った給料の使い道に困ったほど。  早速、共済組合(駐屯地の銀行)に半分くらいを貯金しに行ったなぁ。


 夏のボーナスに冬のボーナス。  さらに僅かだけどもう1つボーナスがあって、一年に3回もボーナスが貰えた自衛隊。  それだけじゃない!  冬のボーナスの頃には年末調整とかやらで金額が更に上積みされ、給料とボーナスと年末調整で、18・19のクソ坊主には信じられないくらいの現金を手渡されたよ。  ズシッ!とくる札束の重みに手が震えた。


 年々わずかだけど給料は上がり、ボーナスも微妙に上がる。


 新隊員教育期間の半年は外出もままならず、私物品を置く事もままならなかったので、PXでお菓子を買ったり自販機で飲み物を買ったりしてお金を使うぐらい。  よく買ったモノは洗濯用洗剤ぐらいかな?  不思議なもので洗濯洗剤の盗難は多かったです。  洗濯機の横に置き去りにしようものなら、すぐに盗られてましたね。  さすがに居室で盗まれる事はなかったと思うけど…  あんなにたくさんの給料を貰っていても金に困る奴も居るものでして、「洗剤貸してくれる?」と頼んでくる隊員も居ました。


 新隊員教育期間が終わった頃には、普通貯金が50万近く貯まっていたのが嬉しかったです。  なんだかスッゲー金持ちになった気分。  その頃からなんとな〜く『貯金』に目覚めた気がします。


 自衛隊に居た4年間、ほとんど飲みに行かなかった僕。  それほど酒が好きではなかったし、晩飯食ってからわざわざ駐屯地内の居酒屋に行く気もなく…  逆にタダで晩飯食えるのに、晩飯を食わずに居酒屋に行くのもアホらしかったしね。
 土曜の夜は皆で『ねるとん紅鯨団』を観て盛り上がって寝るパターンだから外出もせず。  日曜日も酒なんて一滴も飲まなかった。  お金を使う環境が無かったのも事実。
 タバコは成人式前後に廊下に置いてある自販機で一箱買って、一本吸って捨てただけ。  それっきりだから嗜好品にはお金を使わなかったです。


 酒もタバコも未成年で許された自衛隊。  酒もタバコも縁がなかったなぁ。

 酒・タバコ・女が自衛官らしいと思われたあの時代…  あんな田舎駐屯地では女性どころか村人に出会う事すら珍しかったぐらいでした。  だいたい姫路・大阪・神戸に遊びに行っても怪しい店には全然興味がなかったもん。  酒飲まんし!  タバコ吸わんし!  車無いし!

 それでもディスコという異次元の世界には一度だけスーツを着て行きました。  ゲーセンのほうが楽しかったわ!

 そこそこいろんな遊びで、そこそこお金は使ったけど…  お金の使い道が分からないまま4年が過ぎた感じ。


 単純に計算して、一ヶ月の給料だけで10万×12ヶ月=120万円  ボーナスが都合約三ヵ月分を足せば一年間で150万円だ。  それを4年間として600万円貯金できる。  なにもかもを自衛隊に委ねて生活していれば4年で600万円貯める事ができました。  さらに2年で40万。  4年で50万という任期満了の退職金が貰えるので、700万近く稼げるワケですね。


 さらに凄い事。  それは自衛隊の共済組合の年利(利息)が桁ハズレに大きかった事!  20数年前の普通貯金の年利は5%!  定期貯金なんて7%だぜっ!!  つまり100万円を定期貯金にすれば、365日後には107万円になってる利率。  これって凄いよね♪  時代もあったけど、一般の銀行や郵便局ではマネできなかった利率でした。
 もちろん普通貯金が100万に達するたびに定期貯金に変更。  銀行や郵便局みたいに粗品はなかったけどね。


 そんな4年間で僕の貯金は400万。  陸士長になった頃には給料が13万円ぐらいあったので、定期積み立て型の貯金で毎月10万円を自動に差し引かれてました。  一ヶ月3万円ぐらいで十分だったもん。  バイクを買ってからはお金を注ぎ込んだなぁ。  やっぱ車やバイクはお金かかるね。

 退職金や定期貯金の利息で500万円を貯める事ができました。  4年間で500万。  多いほうだと思う。  逆に200万円を4年間で使った計算。  4年で割れば毎年50万使っていた。  何に使ったのだろう?  バイクが60万ぐらいだったし…  あとは映画と私服…  大半は姫路市内のゲーセンで使ったような気がします。


 退職当日の朝、共済組合に預けていた500万円を一括引き出し。  ところが現金が足りないという事で後日支払いとなってしまった。  つまり退職後改めて駐屯地に行かなければならなくなった。  自衛隊内から全国の銀行や郵便局に振込みという事ができなかったのでね。(現在はできるのかな?)
 あの時は中隊の人事陸曹が、「退職する事が分かっているのに何故現金を用意しておかないんだ!」と共済組合の人に怒鳴ったのを覚えている。  まぁ、この時は別の意味でもう一度此処に来れる理由ができて喜んでいた僕でしたが♪


 そして後日、真っ赤なMR−2のTバールーフを外して駐屯地隊舎横に駐車。  共済組合で現金500万円を受け取って、車を見せびらかしながら駐屯地を後にしました。
 この500万円は、MR−2の支払いが300万。  そして、あっという間にMR−2の改造費で消えてしまった22歳。  そんなMR−2も短い寿命だったなぁ。  汗と涙の結晶だったのに…  やっぱり車は魔物だね。  お金の使い方を覚えてしまった22歳。  無駄遣いとも言いますが。
by606