132 ホークミサイル実弾実射訓練 其の七

 プレASPが終わって駐屯地の訓練場内での訓練は終わりました。
 ミサイルの組み立ても、班長の指揮能力の高さを遺憾なく発揮したおかげで完璧な状態。  この班長…  ヤル時はヤル!  めっちゃメリハリの効いた訓練方法!  つかメリハリの効いた人生を送っている感じ。  4年間の自衛隊生活で恐ろしいほどの上官・同期生・部下と出会ったけど、この班長を一番尊敬した。


 その夜は駐屯地内にある居酒屋でML班の4人で飲みました。  楽しかったぁ!  今、この場所この時…僕達4人が駐屯地内で一番精鋭だと思って無敵な感じ。  少数精鋭!  なんて素敵な言葉なんだろう。
 いろいろとアメリカの事や、射撃場の事を教えてもらいながら飲む生ビールは夢の味がしたよ♪


 アメリカに向けて出発する前は、スーツケースを調達したり、なんだかいろんな海外旅行お役立ちグッズなどを神戸/三宮の東急ハンズに買いに行ったなぁ。  なんたって人生初の海外旅行だもん!  不安でいっぱいだった。
 パスポートとか財布はなどを入れるスリ防止用の腰巻みたいなモノを買ったり…  いろんな人に「コレがいいよ!」と言われれば買ったりしているうちに、アホみたいに海外旅行グッズが揃ってしまった。


 準備するモノで無くてはならないモノが『$』ですね。
 当時(1989年)の相場はしっかり覚えています。  1$が147円でした。  
 駐屯地近くの銀行で100$札、50$札、20$札、10$、5$、1$と…べらぼうな枚数交換しました。  1$札なんて100枚ぐらいあったような?  トラベラーズチケットの存在なんて知らなかったし!  カードなんて持ってなかったし!
 だけどいろいろ勉強になったね。  円からドルに換金するだけで信じられないほど手数料を取られたもんなぁ。



 そしてASP最終打ち合わせを会議室にて行いました。  
 僕達が行くニューメキシコ州エルパソは若干治安が悪い所。  その地域のルール。  お金の使い方。  はたまた女性の買い方などの説明も受けました。
 地域のルールやお金の使い方に関しては、なんとなく本で読んで知っていたので居眠り半分で復習程度に学びました。
 女性の買い方に関しては独身陸曹などは目をキラキラさせて聞き入ってるのが面白かったです。  僕は当時二十歳そこそこ。  もちろん興味はあったけど、興味よりも恐怖が先だった。  それに『エイズ』という言葉を聞き始めた頃だったので、恐怖心は倍増!  エイズに関しての教育、エイズ患者の写真などを見せられて萎えた僕。  それでも値段交渉のやり方から終わりまでの話は念のために聞きました。  この打ち合わせが一番長かったんじゃなかろうか?  コンドームは必ず各自で準備するように強く言われた。  


 午後は食堂を使って昼飯を兼ねた壮行会。  市内の商工会議所の女性やら銀行などで働く女性が、にわかコンパニオンと化してお酒を注いでくれました。  昼間っから酒が飲める仕事ってイイなぁ♪  酒を飲むのが任務(仕事)なんだもん♪  しかも陸士が♪
 こういう場では必ず太鼓の演舞があるのも自衛隊。  まだ昭和でしたから…。

 午前中は旅行の打ち合わせ。  午後からは宴会。  それで一日が終わる自衛隊。


 翌日は身辺整理という大義名分の下…  朝礼から終礼まで個人の準備時間を与えられた。  早く言えば一日休みみたいなもの。
 戦闘服に『JAPAN』というワッペンを縫い付けたり、制服に日の丸のバッヂを付けたり♪  嗚呼、このバッヂ欲しかったんだよなぁ!
 昼ぐらいまでに荷物の準備を済ませて、午後からはのんびりテレビを見て終われるのが自衛隊。


 出発の朝。
 ASP要員は日の丸のバッヂを胸に付けた制服で朝礼に参加しました。  それを見た同期生からは、ヤンヤヤンヤ言われたけど…  ほとんど「土産買って来いよ!」という贈る言葉だった気がする。

 国旗掲揚が済むとASP要員は整列。  駐屯地に残る隊員は正門までのメイン道路に整列が完了したところで、変てこなBGMが流れ始めた。  中隊長を先頭にASP要員の行進が始まった。  2年前に憧れていたこのシーン…  2年後の今となっては、ただただ恥ずかしかった!  ASP要員の中で一番階級が下だったので、最後尾を行進していたのだけど、蹴りを入れられたりラリアット喰らわせられたりと…  せっかくの晴れ舞台が漫才の舞台みたい。  
 前の方は拍手なのに、僕の辺りになると笑いになっているのが悔しかったです。


 最後は正門の前で横一列に並んで敬礼。  大勢の隊員から拍手とバンザイを受けながら汚いバスに乗って東京に向けて出発しました。
by606