105 大型免許取得 其の四

 【学科教習 前編】

 学科教習の時間は小学生の国語の時間みたいでした。  と…一番強く思った。

 平屋で瓦屋根の寺子屋みたいな教室で、木枠のガラス窓。  床はもちろん板張りで、懐かしい雰囲気が漂った空間だった事は今でも鮮明に覚えています。
黒板から映写機に至るまでが昭和の小学校。  学科教官の階級は陸曹長で、限りなく定年に近い教官でした。
 背が低くてとても優しい雰囲気の教官。


 36人中18人が実技教習をしてる間に残りの半分(18人)が学科教習を受けます。
 18人が毎日午前と午後で入れ替わり。  学科教官は一日に同じ事を2回教える事になるのですね。  これってある意味凄い。  休憩時間や終わる間際のテストの時間を差し引いても2時間半以上は教本に従い授業をする。  凄い事だわぁ。


 この学科教習は、午前中は結構集中力が高いまま受け続けれますが…  これが午前中に実技教習を受けて、昼飯を食べた後だとスッゲー眠いのです!!  半端じゃない眠気に襲われます。  確か…桜の花が咲く頃だったので、陽気も睡魔に拍車をかけていたような?
 
 
 最初の頃は学科教習も新鮮で眠気なんて微塵も感じなかったのに、3日もすればダラダラ。  
 此処でも連帯責任というのは存在するものでして…  誰か一人でも眠りに入れば、全員外で腕立て伏せ!  だからいかにバレないように寝るかが重要でした。
 でも寝てしまったら学校と同じでなにも勉強にならず、最後のテストで悪い点数をとってしまう。

 で…  この最後のテストが恐怖の代物!
1問5点で100点満点のテストで75点以下だと、教本の最後に10頁ほどに及ぶ標識を全て絵を描いて色を塗って意味も藁半紙に書き写さなければなりませんでした。
 その罰ゲームをやる時間は、課業終了後にしかできません。  通常、晩飯食べて風呂を済ませたらベッドで気楽に消灯まで過ごせるのに…  風呂から出たら居室近くの部屋で黙々と罰ゲームをこなします。  どれだけ一生懸命に書き写しても3時間はかかりましたね。  僕も4回ぐらいやりましたが、半端じゃない苦痛でした。  色を塗ってる時は苛々しまくりでしたよ。  だから音楽聴きながらやっていた。  そうでもしなければ一触即発ムードで消灯過ぎて喧嘩してたもん。  喧嘩…多かったなぁ。


 優しい教師  弱そうな教師  もの静かな教師というのは生徒からナメられる事が多い。
自教も例外ではなく…  定年間際の優しくて体力がなく、怒らないお爺ちゃん隊員ともなれば二十歳そこそこの若僧にとっては絶好のカモなのかな?  居眠りした!してない!ぐらいのプチ反抗をする隊員も居た。
 最後のテストでは答え合わせをしてる最中に75点以下にならないように、答案を書き換える隊員も居た。  それを注意すればプチ反抗。  その反抗に抵抗しない教官。


 ある日…  数名が班長室に呼び出された。
 学科教習で横着な隊員ばかり。
 昼休み間際に居室に戻ってきたその隊員はボコボコに殴られた顔だった。

 学科教官が全てを班長に伝達したのだろう。  凄い裏技には驚いたけど…  半端じゃない殴られかたには、もっと驚いたね。
翌日からは大人しくなった一部の横着隊員。  『弱気を挫き、強気に媚びる』隊員は飼い犬の如き大人しく真面目になりました。  体罰って効果あるんだなぁ。


 でも本当に午後からの学科教習は眠くて苦しかった。  過去にない睡魔との戦い。  一生懸命に学ばなければ筆記試験で落ちてしまうのに…  頭に入るよりも目を開けているだけで精一杯。  返って何も勉強にならなかったです。  せめて学科教官が若い女性隊員だったら、もっと集中… いや、できんか!  なんにしてもお爺ちゃん隊員はマニュアルに従った教え方なので全然面白くないから、そりゃあ眠くもなるでしょ。


 スパルタな実技教習に比べて、のどかな学科教習は座禅でもしてる感覚でした。  時々、一瞬眠りに落ちた事があったけど…  ありゃ気持ちイイね!  ほんの数秒寝てしまっただけなのに一晩寝た感じ。  バレて腕立て伏せをさせられた事もあった。  運良くバレなかった事もあった。  10分〜20分の休憩時間は、どの隊員もタバコを吸うか寝るかのどちらかでしたよ。  トイレに行く時間があったら寝たほうがイイ!という気持ちも強かったですね。

 今思えば本当に予科練だったよなぁ。
by606