15年くらい前までチキチ基地の前の空き地には旧チキチ基地が在りました。
旧チキチ基地は祖父母が戦後間もなく開いたお店兼工場。
お店兼工場は父親が物心つく頃に道路を挟んだ斜め向かい側に大きく建て直しました。
その後、旧チキチ基地は両親の家となり…
僕が中学一年になって、現在のお店兼工場兼自宅に引っ越すまで住む事となります。
画像の2階が僕の部屋でした。
台風で屋根が飛んだ事も、今となっては笑える思い出。
引っ越してからは空家となり… 旧チキチ基地は自転車置き場として利用。
四年間の柵の中での生活から帰って、数年後に606号を購入すると同時に車庫に改造。
旧チキチ基地は道路拡張に伴い15年くらい前に解体。
その奥に606号がギリギリ入る倉庫をガレージに改造。
2016年12月31日まで使う事となる。
チキチ基地の土地は戦後間もなく開いたお店兼工場の時代から借地でした。
地元の大地主さんから毎年5万円で借りていました。
棟続きで47坪中、うちが20坪、隣は27坪という割合で隣は毎年7万円で借りていた。(ここ重要)
毎年5万円で借りていたのを知ったのは606号を買った1992年。
それから3年前まで、ずーっと毎年5万円の借地代を払い続けてきました。
戦後間もなくの5万円と現在の5万円の価値は恐ろしいほど違うと思うけど…
大地主さんゆえにあまり気にしてなかったのかな?
60年近く値上げはありませんでした。
隣の家も同じ様に7万円を払い続けてきたわけです。
4~5年前に大地主さんが亡くなり、娘夫婦が遺産相続したみたいです。
娘さんは病院経営、旦那さんは弁護士というテレビドラマに登場しそうな夫婦。
それでいて大地主さん。
どんだけ~ って感じですね。
この物語が動き始めたのは大地主さんが亡くなって約一年後。
名古屋市中区丸の内の弁護士(たぶんその娘夫婦の旦那)から千円以上の切手が貼られた書留内容証明書が届きました。
千円以上の切手が貼られておきながら、中身は紙切れ一枚。
内容は借地代の値上げ。
今まで5万円だったのが10万円になりますとの事。
いきなりの倍額に焦ったけど…
考えてみたら一年間で10万円でも安い計算。
だって屋根付きシャッター付(これは父親の持ち家)、それに旧チキチ基地の跡地には車2台分のスペース有。
半分悔しかったけど、半分は仕方ないと思って、請求通り10万円で合意。
ところが!
隣の家は7万円が14万円に値上がりした事で土地を明け渡す事になりました。
隣の家はコンテナハウス1つと、貨物列車のコンテナを物置として置いてあるだけだったので気持ちは分かります。
この2つを撤去移動するだけでも、かなりの費用が必要だったみたい。
「いきなり倍はねーよなぁ!」と… お互い苦笑いしながら挨拶して別れたのを覚えています。
それから1年。
この物語は再び弁護士から届いた書留内容証明書によって大きく動き出しました。
「隣の方が土地を明け渡した事によって一年10万円では余りに低いので…」
① 明け渡しをして頂く。
② 隣の土地も借りて頂く。 (年間25万2千円を支払う)
③ 土地を買い取って頂く。 (1000万円くらいかな?)
この3つから選べ!みたい事が一枚の紙切れに謳ってありました。
文章は丁寧な単語が並べてあったけど、まぁ弁護士さんが書く様な所謂『脅迫』ですわな。
2年前に5万円から10万円に値上げされ…
今年になって10万円から25万2千円に値上げされ…
ボッタクリかよ! と弁護士さんと一戦交える構えだったけど、面倒くさいのでヤ~メた♪
3年前まで安く使わせて頂いたので、感謝して返してやる事にしました。
感謝して返してやるのはいいけど、チキチ基地が無くなったら606号の置き場に困る。
チキチキ通信所Pも借地。
こちらは固定資産税がかからない事を条件に借りているので屋根&シャッター付ガレージは不可。
となるとカーポートの下で毛布とボディカバーを巻き付けて保管するしかない。
だが!
チキチ基地の借地代が5万円から10万円になった時から万が一の策は講じてきている。
後篇は弁護士との直接対話⇒Newチキチ基地の購入⇒チキチ基地の解体⇒Newチキチ基地の完成の報告。
今、この報告書を書いている時点では、Newチキチ基地の完成が12月20日。
そして11月7日に解体業者がチキチ基地解体にかかる費用を見積もりに来る。
12月の頭に606号貯金(3年間の定期積立)が満期になるので、費用面では問題ないと思う。
606号貯金が満期になって、「何かあってもすぐに修理できるぞーっ!」という凸気分だったけど…
「もし壊れたら暫く乗れへんなぁ。」という凹気分になっちまったぃ(>。<);;;;;
後篇につづく
by606
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